誰も意思決定しない「残念な経営会議」
私が以前、「経営会議のファシリテーター(司会進行役)」をやらせていただいた、ある会社でとても残念に感じた出来事を紹介します。
この経営会議は、社長、副社長、取締役、財務部長、営業部長など、経営の中核となる面々が全員参加して実施されました。
そして、その会議でちょっとした事件が起きました。ここでは、その瞬間を思い出しながら、実況中継風に再現してみます。
その事件は、会議の中盤に差しかかった時間帯で勃発しました。具体的な議題は機密保持の観点からお伝えできないのが残念ですが、議論のテーマとしては、従業員満足度の向上、そして、離職率を下げるにはどんな選択肢があるかといったものでした。
参加者はこの問題について、各自の役割や肩書きからそれぞれのポジショントークはするものの、いっこうに「では、私が責任を持って推進します」といったコミットメント(強い意思表示)が出てきません。司会進行をしていた私はしびれを切らし、こんな形で口火を切ってみました。
「あの、ちょっといいでしょうか? おひとりずつ伺いたいのですが、この問題について、最終的に意思決定をするのはどなたですか? 財務部長、いかがですか?」
「私じゃないですね」
「営業部長は?」
「私ではないです」
「常務、いかがですか?」
「私ではありません」
そんな形で、順番に同じ質問をそれぞれの方にしました。それぞれから「私ではない」という発言をいただき、多少、意気消沈気味の私。そして、最終的に順番は副社長にまわりました。
「副社長、いかがですか?」
「私ではないです」
さあ、最後はもう社長だけです。
「では社長、最終的に決めるのは社長ですか?」
「私じゃないです」
「えーっ! 誰も決めないの?」というのが、その瞬間に湧いた私の心の声です。
会議の配信を視聴していたらすぐに退職したくなる
進行役を任されている私は、ちょっと変化球でこんな問いかけをしてみました。
「皆さん、それぞれコメントをいただきどうもありがとうございます。ひとつ考えてみてほしいことがあります。この経営会議は今、密室で執り行われていますが、これが例えばオンライン配信されていて、この会社で働く社員全員が生放送で視聴していたとしたら、見ている方々はどんなことを感じると思いますか?」
こんな問いかけがあると、物事を別の視点で考えるきっかけになります。果たして、「私ではない」という発言は会社全体のことを考えたときに、適切なものだったのでしょうか。
事実情報として、「それは私の担当ではない」と発言することは極めて簡単ですが、その発言が働く社員全員にどんな形で影響し、何が引き起こされるかを想像することができていない。こうした出来事が中間管理職レベルだけではなく、経営幹部レベルまで含めて数多く発生しているのが、会社の不都合な真実だったりします。
もし仮に、私がこの会社で働く社員で、この会議の配信を視聴していたら、エンゲージメント(会社に対する愛着心)が上がるどころか、その瞬間に退職したくなるだろうなと思ったことも、ひとつの客観的な意見としてお伝えしておきます。
その会議の結末がどうなったのか、ということだけ最後にお伝えしておきましょう。結局、最終的な意思決定は先送りになり、具体的なことが何も決まらずにお開きとなりました。また、私の関わり方を社長はあまりポジティブに受け取らず、「余計なことをしないでほしい」というフィードバックを受けたのを覚えています。
その結果、私はその経営会議を最後に、コーチを解任されてしまいました。
その後、その問題がどうなったのかはあずかり知るところではありませんが、そんな会社もあったという残念な記憶のひとつです。
これから、できるリーダーを目指すあなたは、ぜひ反面教師にしてください。