メールや電話で謝らないこと

こういうときぼくは、「自分のエゴのために謝っていた」のです。自分が悪い人間だと思われたくない。変な噂を広げられたくない。この、不安な状況から解放されたい。でも、本当に事態を冷静に見極める目を持っていれば、「待つ」という選択肢もあり得たはずです。

思い起こせば、鈴木さんは常にそうでした。決して感情的にならず、仮にだれかが怒っている状況下においても、取り乱さずに事に当たる。相手の怒りが収まるまで、じっと待つ。

ぼくのように、誠実に相手に対して向き合っていると「思いたい」人間は、実は自己中心的なのだということを、最近身にしみて感じます。

鈴木さんは、謝り方についても教えてくれました。

メールや電話で謝らないこと。必ず電話でアポイントメントを取り、会って直接、相手の目を見て頭を下げること。

「謝るときは、本気で謝らなければならない」

鈴木さんはよく、そう言っていました。

「会って謝ることのメリットってわかる? 人は、面と向かったら、怒りを相手にぶつけられないものだよ。その隙を突いて、本気で謝る。相手の目を見て、1回。真剣勝負。それで許してもらえなかったら、時間をおくしかない」

自分がどれだけ申し訳なく思っているかは関係ない

作品の制作中、監督やスタッフの怒りを買ってしまったことが何度かありました。鈴木さんの教えどおり、仕事場や自宅まで行き、玄関前や喫茶店で、そこまで考えに考え抜いた謝罪の言葉を一発勝負で伝えました。

会って謝って、許してもらえなかったことは一度もありませんでした。一方、失敗も数多くありました。その多くは、メールや電話で謝罪をすませようとしたケースだったように思います。

編集者だった鈴木さんは、多くの作家との付き合いがありました。鈴木さんの若いころは、メールも携帯電話もありません。相手を怒らせてしまったときや、連絡が取れなくなったとき、その人の家で待つしかない。「家の前で待つ」ということには意味があって、「こんなに長い時間、自分のために時間を使ったんだ」という気持ちが伝わるのだ、と鈴木さんは言いました。

「自分がどれだけ申し訳なく思っているかは、相手に伝わらない以上、関係ないし、意味ないんだよ」

ぼくは、会社の若いスタッフに、「すみません」や「以後気をつけます」という言葉を安易に使うなと言っています。日ごろから謝ってばかりいる人は、謝罪の意思が軽くなります。簡単に謝れないと思えば、相手を怒らせないように、もっと考えるようになる。

そして、安易に謝らない人が本気で謝ったとき、相手から本当の信頼を得ることができると思うからです。

写真=iStock.com/Sam Edwards
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