外資系ファンドへの売却を巡る混乱

この流れを受けて、物言う大株主である米バリューアクト・キャピタルが早期の部門売却を求めました。アクティビストとの対立を避けたい井阪セブン&アイは、22年2月にそごう・西武の売却交渉を開始。複数のオファーの中から、同11月に米投資ファンドであるフォートレス・インベストメント・グループ(以下フォートレス)に売却するということで基本合意しました。

しかし、フォートレスのバックに家電量販のヨドバシホールディングスが存在し、買収後に旗艦店である西武池袋店はじめ大型店舗のメインテナントをヨドバシカメラとする計画が分かると事態は急転します。池袋周辺の街づくりの観点から、まず豊島区が反対の狼煙を上げ、そごう・西武の労働組合もヨドバシ出店後の雇用継続に対する不安から売却契約の破棄を求めたことで、フォートレスへの売却は遅々として進まなくなったのです。

最終的には、フォートレスから圧力を受けたセブン&アイが強引な幕引きをはかりました。その結果、冒頭に触れた61年ぶりのストライキ決行を招き、経営も労働者も顧客も地域住民も後味の悪さばかりが残る売却決着となったわけなのです。

写真=iStock.com/y-studio
※写真はイメージです

経営の根底に見え隠れする「歪み」

この結末の背景には、セブン&アイの経営の根底に見え隠れする「歪み」に起因するマネジメントの弱さがあると見ています。その「歪み」を象徴する出来事が、16年のトップ人事を巡るいざこざでした。

セブン‐イレブンというコンビニ事業の導入でグループを大躍進に導き、カリスマ経営者として絶対的な地位にあった鈴木敏文会長は、セブン‐イレブン・ジャパンの井阪社長(当時)に退任を命じました。しかし、これを不服とした井阪氏が鈴木氏と確執のあった創業者でオーナー家の伊藤雅俊氏を味方につけて形勢を逆転させ、鈴木氏を退任に追い込んだのです。

伊藤氏は、セブン‐イレブンの大成功で社内を思いのままに支配するようになった鈴木氏を快く思っていなかったと言われています。両者間の確執の存在は、鈴木氏自身が退任会見で認めています。これは見方を変えれば、カリスマ創業家の存在というガバナンス不全リスクであるともいえます。