「小売の神様」肝いりの買収
百貨店としては61年ぶりの労働組合によるストライキ決行で、禍根を残したままそごう・西武を外資系ファンドに売却したセブン&アイ・ホールディングス(以下セブン&アイ)。流通業界の雄であるセブン&アイが、なぜこのような失態を演じてしまったのか。その理由を突き詰めていくと、セブン&アイの根底にあるマネジメント面での危うさが浮かび上がってくるのです。
セブン&アイは、2000年に倒産したそごうと債権放棄を受けて経営再建中の西武百貨店(以下西武)の統合で設立されたミレニアムリテイリングを06年に買収しました。これは、グループ内に百貨店の顧客層を新たに取り込むことで、顧客基盤拡大を狙ったものでした。
当時の会長(兼CEO)で、コンビニ最大手セブン‐イレブン・ジャパンの生みの親、鈴木敏文氏が「流通の各業態を複合的に結びつけ、グループとしてのシナジーを生ませる」と胸を張る、自信に満ちた戦略だったのです。
そごう・西武が「お荷物化」した理由
三越、高島屋、伊勢丹、大丸、松坂屋などの大手百貨店各社は、老舗名門呉服店をその発祥とする成り立ちゆえに、大口取引先である富裕層が確固たる存在として経営基盤を支えています。しかし、中小呉服店を発祥とするそごうや電鉄系の西武は、そのような存在に乏しいまま、バブル経済に躍った庶民層の購買力により急成長してきました。
そのため、バブル崩壊後は経営に行き詰まります。両社が経営統合して誕生したそごう・西武は、いわば負け組連合でした。「小売の神様」と言われたカリスマ鈴木氏でも、長引くデフレ経済と急速な流通のデジタル化は想定外だったのか、買収後の立て直しには苦戦を強いられてきました。
そごう・西武が明らかに「お荷物化」したのは、16年にセブン&アイ内部でのいざこざ(詳しくは後述)から鈴木氏が退任し、現社長の井阪隆一氏に交代して以降のことです。井阪氏は1980年にセブン‐イレブン・ジャパンに入社し、コンビニ一筋でそのキャリアを歩んだ人物です。結果として、そごう・西武とのシナジーを生むことはできませんでした。そごう・西武は、統合時の28店舗から10店舗にまで縮小し、衰退の一途を歩んでいったのです。