キリスト教の神は遺伝子まで操作する
したがって、無神論者という言葉は、信仰重視の宗教にふさわしい概念である。神がこの世界に実体を持って存在するか否かを焦点とする言葉だ。キリスト教の言葉といえる。キリスト教には絶対の教典がある。言うまでもなく、聖書だ。キリスト教にもさまざまな宗派があり、相対的に実践重視のグループもある。しかし、聖書なしのキリスト教というのは考えにくい。聖書は神の言葉を記した書物であり、信者が内面化すべき信仰の源泉となる。
キリスト教の神は世界に介入する全能神である。例えば次の2つの文章はアメリカの牧師リック・ウォレンの著書『人生を導く5つの目的 自分らしく生きるための42章』(パーパスドリブンジャパン/2015年)からの引用だ。世界で3000万部以上売り上げたというベストセラーである。
あなたの両親は、神の意図された「あなた」を組み立てるのにふさわしい遺伝的特質、すなわち神の意図されたDNAを持っていたということなのです。
神の実在を否定する無神論者は危険人物とみなされる
すさまじい全能ぶりであり、介入ぶりだ。あなたが事故や不治の病で死ぬのも神の意志である。あなたがどのような性格や外見や運動能力を持っているのかも神が決定する。日本の「お天道様に顔向けできない」「ご先祖様が見守ってくれる」といった漠然とした感覚とは大きく異なる。キリスト教の神は遺伝子まで操作するのだ。当然、実在していなくてはならない。
だからこそ、無神論者という言葉が持つニュアンスも異なる。神仏の実在にこだわらない日本では、無神論者だとカミングアウトしてもほとんど波紋を起こさない。問い詰められればだいたいの人がそうであるし、それをわざわざ言うのは何か特別な事情でもあるのかと勘繰られる程度だ。
しかし、キリスト教の文脈では異なる。無神論者は神の実在を否定する。つまり、この世界の全ては偶然であり、誰かが生まれて死ぬことに意味はなく、倫理道徳は幻想であり、善も悪も相対的なものでしかないと信じているのだと思われる。したがって、無神論者は反社会的であり、ためらいなく殺人や虐待を行う危険人物とみなされるのだ。