弊社では事業を進めてゆくべきか否かの判断基準として「際立ち」という言葉を使っています。事業自体に独自性・技術優位性はあるか。単に「よそがやっているから」という理由で参入した事業からは撤退し、「際立ち」のある事業に特化する。この経営戦略の底にある考え方は「戦うべき場合とそうでない場合をはっきりさせる」という『孫子』の教えと共通しています。
経営者のもう一つの大事な役割は、時代の流れを見誤らないことです。『孫子』は「謀攻篇」で「彼を知りて己を知れば、百戦殆(あや)うからず。彼を知らずして己を知るは一勝一負す。彼を知らず己を知らざれば戦う毎に殆うし(敵情を知り味方の状況も知っていれば、何度戦っても勝利は揺るぎない。敵情を知らず味方の状況だけ知っているならば、勝つときも負けるときもある。敵情を知らず味方の状況も知らないなら、戦うたびに危機に陥る)」と情報収集の重要性を説いています。
情報収集というと新聞やテレビ、インターネットといった情報源が思い浮かぶかもしれません。しかし、もっと重要なものは顧客の声や職場の雰囲気といった現場で得られる情報です。もちろん、そうした情報収集のためには自ら現場に赴くことが欠かせません。
私が経営者として下した決断の中でもとりわけ大きかったのは、中国への進出でした。弊社はそれまで中国での事業には慎重な姿勢をとり続けていました。一方で、90年代の終わりには材料の供給をはじめ様々な関わりが増えてきており、本格的に進出するか否かの判断を迫られるようになっていました。私は「とにかく一度、現地を見なくては」と考え、2001年に中国各地を視察しました。その結果、「本格的に進出する」と宣言したのです。
当時、日本国内の競合他社では、安価な労働力に注目し、中国を低コストの「生産工場」として活用するという考え方が主流でした。しかし、弊社では著しい経済成長に着目し、徐々に姿を現しつつあった「市場」としての中国に着目したのです。現在、中国に10の生産拠点を構えていますが、そこで生産された商品のほとんどは中国市場向けです。当時、決断の根拠となったのは、事前に把握していた詳細なデータではなく、この目で実際に確かめた中国市場の爆発力でした。
世の中は「時代を動かす大きなうねり」と「日々起こる小さな波」との組み合わせで動くものだと考えています。無数の情報の波の中にひそむ大きなうねりを見抜き、企業戦略を描いてゆく。それこそが経営トップの仕事なのです。
一方、「彼を知る」以上に「己を知る」ことは難しい。私は重大な経営判断を下した際には、その都度イントラネットで「このような考えでこの決断を下しました」と社員に説明するようにしています。
経営者は日々、多くの事項に対してその場での決断を求められます。後から検証すると全く間違った判断だったかもしれません。失敗の原因と責任がはっきりしますから、決断のプロセスや根拠を明らかにすることは経営者にとって勇気のいる行為です。ただ、経営判断についてオープンにして社内での議論を呼び起こすことで、私の考えを周囲がどのように見ているのかを知ることができます。それが私にとって「己を知る」方法となっているのです。