下手な指導者と巧みな指導者の違いは「話し方」

次に、ブッダがより善い教化のために、弟子たちに奨励した「技」について紹介します。

その技とは、「話し方」です。

ブッダは弟子たちに、「言葉巧みであること」を奨励し、「分かりやすい言葉を使いなさい」「丁寧な言葉を使いなさい」と、口酸っぱく指導したと言われています。

下手な指導者は、感情に任せて、権力や暴力で脅し、外側から人をコントロールしようとします。

巧みな指導者は、忍耐強く、言葉と態度で理解をうながし、内側から人を導こうとします。

前者は短期的には効果的に見えても、長続きはしません。指導者本人も、指導される側も疲弊し、ストレスや不満が溜まって病気になったり、爆発したりします。

後者は、少し時間を要するかもしれませんが、長期的に見て、指導者本人も指導される側も、なすべきことの意味を理解し、主体的に動くようになっていきます。

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道元禅師が説いた「愛語」とは何か

言葉を発する者が、どのような言葉を、どのような場面で、どのように使うかによって、受け取る者の、感じ方、考え方、行動が変わってしまうのですから、上司はよほど、使う言葉と、モノの言い方、伝え方に気を配る必要があります。

曹洞宗の開祖であり、福井の永平寺を開いた道元禅師は、『正法眼蔵しょうぼうげんぞう菩提薩●四摂法ぼだいさったししょうぼうの巻で、以下のような「愛語」と呼ばれる言葉の使い方を説いています。

※●=つちへんに垂

「愛語というは、衆生をみるにまづ慈愛の心をおこし、顧愛の言語をほどこすなり。おほよそ暴悪のことばあり、不審の孝行あり。慈念衆生じねんしゅじょう猶如赤子ゆうにょしゃくしのおもひをたくはへて言語するは愛語なり。徳あるはほむべし、徳なきはあはれむべし。(中略)むかひて愛語をきくは、表を喜ばせ、心を楽しくす。むかはずして愛語をきくは、肝に銘じ、魂に銘ず。しるべし、愛語は愛心より起こる、愛心は慈悲心を種子とせり。愛語よく廻天のちからあることを学すべきなり、ただ能を賞するのみにあらず。」

現代語に意訳してみましょう。