慶應大学進学できなかった「怪物・江川卓」と推薦制度

今から50年近くも前の1974年2月のことだ。

のちに読売巨人に入団する“怪物”と称された作新学院(栃木県)のエース・江川卓投手の動向に世間の注目が集まっていた。前年秋のドラフトで阪急から1位指名を受けるも、大学進学を理由に入団拒否。慶應大一本に絞り、商学部、法学部、文学部の入試に臨んだが、すべて不合格だった。

「最初にアプローチしたのは慶應のほうからだといわれています。ところが騒がれすぎて、慶應側が怖気づいてしまった。合格させたら裏取引が疑われかねない状況でした」と話すのは当時、取材にあたった全国紙の社会部記者だ。

結局、江川投手は法政大に入学。同大の入試日程は終了していたため、いったん短期大学部に入学し、その後、法学部に転籍した。

慶應は塾高も含め、以降しばらく、「スポーツ推薦を連想させるような受け入れはできなくなってしまった」(元教授)という。そして30年近くが経ち、「ほとぼりが冷め、実質的には推薦入試制度に名を借りたスポーツ推薦をスタートさせることができた」(同)のだった。

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大手学習塾のスタッフは「塾高の偏差値は70台後半と神奈川県最難関。大学も慶應への内部進学がほぼ約束されているとなると、推薦入試のメリットは非常に大きく、今後もそれを目指す受験者は増えていく」と予想する。

その結果、「あまり推薦入試が目立ちすぎると、従来の生徒層と変わってきて塾高ブランドに傷がつきかねない」と話す。このあたりは前出の元評議員の話と合致する。にもかかわらず、懸念の声も次第に消えていったのは「早稲田への強烈な対抗意識」(文系教授)があるからにほかならない。

「早稲田実業高校や早稲田大高等学院でも推薦入試制度を取り入れているのに、こちらが手をこまねいたままでは差が開く一方になる。神宮での慶早戦でもますます分が悪くなって、若き血を歌うチャンスまで減ってしまう。背に腹は代えられなかったのです」

塾員が危機感を募らせるのは対早稲田だけではない。「ストレスが溜まる状況が以前より増している」と文系教授はぼやく。