ひろゆき氏「提供者に責任はない」は暴論である
これだけ大きな影響力と危険性があるからこそ、匿名掲示板を決して野放しにするべきではなく、しっかりとしたルールや規制をけていく必要があると思っています。
2ちゃんねる創設者の西村博之氏は、2ちゃんねるで誹謗中傷が吹き荒れ、さまざまな差別用語が乱れ飛び、裁判も多発して社会的責任を問われるようになると、このような主旨の発言を方々で繰り返しています。
曰く、もし不満なら法律を作ればいい、私は匿名掲示板という白紙のノートを提供しているだけだ。たとえばオレオレ詐欺が起こった時に、それに使われた携帯電話のプロバイダーやキャリアは責任を問われないでしょう、と。
この意見に納得する人も多いですが、本当にそうなのでしょうか。
たとえば自動車というテクノロジーは、発明された時は政治・経済から戦争に至るまですべてを変革していった一方で、その力の無制限の行使がはらむ危険性もすぐに判明したわけです。車線も交通信号もなかった時代に往来を時速100kmで走っていたら、危ないに決まっています。そこで交通ルールができて、初めて我々は自動車というメリットを享受できるようになった。もちろん今でも交通事故が起きているわけですから、それで100%オーケーというわけではありませんが、問題が発見されたら新たなルールを整備していくという、不断の業界努力によって対応してきたわけです。
「法整備」のまえに果たすべき役割がある
西村氏が例に挙げた携帯電話のキャリアにしても、SIMカードの購入時に身分確認を厳格に行うようになるなど、犯罪が起こらないようにできる限りの対応をしてきました。「法を作ればいい」というのはその通りですが、その前にまずキャリアやプロバイダー、2ちゃんねるで言えばサイト運営者が対応し、倫理基準を作っていくことが重要ではないでしょうか。
それでも駄目なら法整備となりますが、法の制定にあたっては入念な議論が必要です。また法ができると、解釈に一定の縛りが生まれ、柔軟なルール整備がしづらくなる。だからこそ、法はあくまでも最終的な手段として捉え、まずは市民的な議論や企業による自主規制により問題を解決すべき、というのが私の意見です。
実際、2ちゃんねる自体も、野放しのままというわけにはいきませんでした。2000年代中盤になると2ちゃんねるでの誹謗中傷問題が社会的に大きく問題視されるようになり、またプロバイダ責任制限法という法律が整備されたこともあり、2ちゃんねるに対する訴訟は劇的に少なくなっていきました。運営側がIPアドレスを記録しだしたと言うようになり、法的な要請があった時に、そのユーザーの情報を開示するという運営をしはじめた。それによって、かつての野放しの無法地帯から抜け出し、2ちゃんねるは持続できるようになったのだと考えています。
たとえば2020年にプロレスラーの木村花さんがSNSでの誹謗中傷を苦に自殺した事件では、誹謗中傷を繰り返した男2人に「侮辱罪」が適用されました。そして2022年7月には、侮辱罪の厳罰化を盛り込んだ改正刑法が施行されています。社会的枠組みは徐々に変わりつつあります。