「維新への接近」という裏話
しかし、この離党劇には裏がある。
1つは松原氏が会見前日の8日、ホテルニューオータニのバーで維新の馬場伸幸氏などと会合をしており、「維新への接近」が見られたということだ。
もともと、松原氏は馬場氏と共に、大阪都構想を推進するなどしてきた「新しい国のかたち(分権2.0)協議会」の代表世話人を務めていた。
松原氏周辺によると、この会合は協議会が地方分権に関する法案を作成する際に尽力した職員を慰労するための会だったといい、維新に近い国民民主の前原誠司氏や、前埼玉県知事の上田清司氏なども参加していた。
こうした動きもあり、都連幹部は松原氏の離党について「維新と渡りをつけた上での行動だ」と批判する。
しかし一方で、松原氏は立憲内の選挙区を巡る調整不足でやむなく離党した形となったため、立憲は対抗馬を立てることもできておらず、無為に1議席を失うこととなった。
選挙を巡る調整不足
そして、松原氏の離党にはもう1つ裏話がある。
都連が松原氏の新東京26区から出たいという希望を頑なに拒否し続けた理由として、この選挙区を蓮舫参院議員の衆院くら替えの候補地にしていたという話だ。
都連関係者は「目黒区を含む新東京26区は立憲の地盤が強く、もし衆院選が2024年の東京都知事選以降になる場合は、蓮舫氏を都知事選で擁立したうえで、敗北した際の受け皿として考えていた」と語る。
その証拠に、立憲は松原氏が離党届を出した翌日の6月10日、新東京26区管内の大田区や目黒区で、蓮舫氏を候補者の1人に挙げた電話情勢調査を実施しており、筆者はその音声も入手している。
もし、都連が松原氏の「新東京26区から出馬したい」という要求を受け入れていれば、離党にまでは至らなかったかもしれない。こうした都連の判断を泉健太代表は問題視し、長妻昭都連会長を強く叱責するなどしている。
つまり、松原氏離党の背景には立憲内の「選挙を巡る調整不足」があったわけだ。