忘れられない編集者からの指導

(4)曖昧な指示語

私が執筆活動を始めたころ、編集者から原稿の中の指示語をすべて直されたことがある。「アレ」「コレ」「ソレ」を一切使わずに、指示している内容をそのまま書いてくださいという指導だった。

松永正訓『1文が書ければ2000字の文章は書ける』(日本実業出版社)

確かに指示語を使わなければ誤解が生まれない。さらに言えば、私たちには指示語の使い方がアバウトなところがあり、指している対象がクリアに存在しない場合があったりする。

編集者の指示は納得できる部分もあったが、指示語を一切使わないと文章が幼稚に見えるのが気になった。現在はというと、私は指示語を適宜使っている。ただ、編集者の言った言葉も忘れないようにしている。ただし、「アレ」「コレ」「ソレ」が指す内容が長い語句の場合、その語句を、指示語を使わない文の中に落とし込むと、そうとう長い文になってしまう。そうなると、どっちが分かりやすい・読みやすい文章かは判断がつきかねる。

指示先が明確でない時には使わない

次の文は、肉親の死と障害児を授かるケースを比較し、前者には悲しみに浸る時間があるが、後者にはないことを書いた文章である。

しかし障害児を授かった場合には、親の務めとして養育という仕事が待っている以上、いつまでも悲しんでいる暇はない。すぐにでも受容することを急かされる。急かされることは、いい方向にも悪い方向にも作用する。だが桂子と展利の場合は、それがいい方向に進んだように思える。
運命の子 トリソミー 短命という定めの男の子を授かった家族の物語』松永正訓/小学館

最後の文の「それ」とは「どれ」であろうか。私としては、前の全体の文章を指したつもりである。もっと狭く言うのであれば「急かされること」になるだろう。やはりこういう文は、指示語がないとうまく表現できない。

指示語の使い方は思いのほか難しく、曖昧な使い方は避けなければならない。

何を指示しているのかが明確な文章の中でのみ使うべきだろう。

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