「僕はとても恵まれていると思います」

さらに手紙は続きます。

僕は、いろいろな施設を転々として、ずっと嫌われて、ずっとひとりぼっちでした。

こんな大きな事件をおかしたのに、弁護士さんが会いに来てくれて、ばっちゃんが手紙をくれるなんて、僕はとても恵まれていると思います。

僕は、ばっちゃんと知り合うまでは、このまま施設に入っていたほうが楽だし、そのほうがいいのかな、と思っていました。でも、いまはいつか外に出て、ばっちゃんに会いたいです。だから長生きしてください。

そのとおり、K少年は私が、最初に警察署に面会にいっていたころ、「今が一人で落ち着く」「ずっと施設にいたので、別に少年院だろうと、刑務所だろうと一緒です」と言っていたのです。

その言葉は強がりでもなんでもなく、社会に出ても待ってくれている人も、受け入れてくれる人もいないK少年の本音だったのだと思います。

写真=iStock.com/eranicle
「いろいろな施設を転々として、ずっとひとりぼっちでした」(※写真はイメージです)

そんなK少年が「いつか外に出て、ばっちゃんに会いたい」と思うようになったのです。

それは、私が出会ったときのK少年からは、決して出てこない言葉でした。

「責任を感じ、怒りを覚えています」

判決からしばらくして、K少年から手紙が届いたよ、とばっちゃんから電話をもらいました。そこには、このような記載がありました。

拘置所にいたときに、新聞で、ある少女が東京まで行って親子に切りかかった事件について、知りました。もしかしたら、自分の事件が悪影響を与えてしまったのではないか、と気づき、責任を感じ、なにもできない自分に、怒りを覚えています。

一人で悩んで、相談できる人がいなくて、生きることに苦しくて、死にたいと思ってつらかったのだろう、と思いました。

「共感性」がない、と指摘されていた少年ですが、自分と似た境遇の少女に対しては、深い共感をよせることができたようです。これも、K少年がわずかでも成長していっている証かもしれません。