「僕はとても恵まれていると思います」
さらに手紙は続きます。
僕は、いろいろな施設を転々として、ずっと嫌われて、ずっとひとりぼっちでした。
こんな大きな事件をおかしたのに、弁護士さんが会いに来てくれて、ばっちゃんが手紙をくれるなんて、僕はとても恵まれていると思います。
僕は、ばっちゃんと知り合うまでは、このまま施設に入っていたほうが楽だし、そのほうがいいのかな、と思っていました。でも、いまはいつか外に出て、ばっちゃんに会いたいです。だから長生きしてください。
そのとおり、K少年は私が、最初に警察署に面会にいっていたころ、「今が一人で落ち着く」「ずっと施設にいたので、別に少年院だろうと、刑務所だろうと一緒です」と言っていたのです。
その言葉は強がりでもなんでもなく、社会に出ても待ってくれている人も、受け入れてくれる人もいないK少年の本音だったのだと思います。
そんなK少年が「いつか外に出て、ばっちゃんに会いたい」と思うようになったのです。
それは、私が出会ったときのK少年からは、決して出てこない言葉でした。
「責任を感じ、怒りを覚えています」
判決からしばらくして、K少年から手紙が届いたよ、とばっちゃんから電話をもらいました。そこには、このような記載がありました。
一人で悩んで、相談できる人がいなくて、生きることに苦しくて、死にたいと思ってつらかったのだろう、と思いました。
「共感性」がない、と指摘されていた少年ですが、自分と似た境遇の少女に対しては、深い共感をよせることができたようです。これも、K少年がわずかでも成長していっている証かもしれません。