「こんなにきちんとした手紙が書ける子なんやね」
K少年が、ばっちゃんに最初に書いた手紙は、とても丁寧なもので、「こんなにきちんとした手紙が書ける子なんやね」とばっちゃんも驚いていました。
その後も、読書をしたり、漢字の勉強をしていることなどを熱心に綴っていました。
でも、それから数カ月すると、「せっかく送ってくれたお金もぜんぶマンガ本を買うのに使ってしまいました。いまはダラダラ過ごしています」などという、やる気のない感じが満載の失礼な手紙が送られてくることもありました。
だからといって、ばっちゃんはそんな手紙くらいで怒ったりしません。
「育ちざかりなんだから、出てきたものは、ちゃんと食べんといかんよ」などと優しく返します。
「ホットケーキをおなか一杯食べたいです」
このような手紙の内容のブレも、人格が未統合、という少年の特性の表れとも考えられます。また、このひとはどこまで自分に関わってくれるのか、一時的な思いで関わっているだけで、いつか裏切られるのではないか、を推し量るための「試し行動」の一種だったのかもしれません。
そんなやりとりが繰り返されていたある日、次のような手紙が届いたと、ばっちゃんが笑いながら、私に電話をしてきました。
僕は、外にでたら、ばっちゃんのところに行って、ばっちゃんと一緒に、カステラや、いちご大福や、ホットケーキをおなか一杯食べたいです。それを楽しみにしています。だから、ばっちゃん、長生きしてください。
共感性がないと言われたK少年が、ばっちゃんとの手紙のやりとりを通じて、失礼で、わがままな表現ではあるものの、ばっちゃんの長生きを望んだことは、小さいながらも成長といえるのではないか、と思えました。ばっちゃんも同じように感じたようでした。