「恭仁」は古代に3年だけ都が置かれた場所

父親は祖父とケンカをして家を飛び出している。となると、地名を入れたこと自体、「居場所がない」という感覚からではないか。そして「恭仁」は、古代に3年だけ都が置かれた所で、歴史の本には載っている。つまりコンプレックスの裏返しで、「さあ、これが読めるかい」と知識をひけらかしているようにもみえる。たしかに父親は、文学や歴史については結構知っていた。

写真=時事通信フォト
恭仁京大極殿址の碑=2002年6月、京都府木津川市加茂町

父親は名づけの際にこうして無意識に、最高の家系=皇室に縁のある地名を選んだ。「恭仁」の2文字こそ、ためこんだいろいろな感情をほぐしてくれるものだった。

その皇室の信仰の対象は、いうまでもなく伊勢神宮である。父親は結婚相手(筆者の母親)を三重県でみつけた。筆者の兄弟の名にも伊勢神宮と関係の深い字が入っているが、それももちろん父親のしわざである。思えば父親もケンカが大好きで、人を非難するとき、「あの家の連中は」と言うのが口ぐせだった。

品の無い例をあげて恐縮だが、何を言いたいかといえば、親の生きざま、言動をよく知っていれば名前も解きやすい、ということである。知らない人のことは命名の専門家でも、ただ推理する、想像してみる、ということしかできないのである。

名前はひっくり返すと解けることも多い

名前をつけた親についての話となると、いやでも不安、欠乏感、コンプレックスといった言葉が多くなる。私たちは誰しもそうしたものを抱えているし、それをカモフラージュするように名前がつけられることが多いからである。

強そうな名前をつけた親が、小さい時は気の弱い目立たない子だったとか、丈夫で長生きしそうな名前をつけた親が、何かの体験で病気に対する恐怖がある、というようなことはザラにみられる。

奇抜な名前にこだわる親は、「個性」「自由」をさかんに口にするが、「人に指示ばかりされてうんざりだ」という感情を抱えていることが多い。

もちろんほかの名づけもたくさんあるが、とにかく名前を見る際は「一度ひっくり返してみよ」というのが定石ではある。

ただし、親が抱えた感覚、感情を、弱点だとか、欠点だとか思うと間違える。それ自体は誰もが持つ自然な、生きるための本能である。人は不安、欠乏感があるからいろいろ努力をし、備えもする。それはあらゆる行動の原動力であり、それがなければ子育てだってできない。

ただそうした感覚、感情から生まれるさまざまな行為には、まさにピンからキリまである。筆者の父親もそうで、歴史の本を読んだり皇室を敬うのは良いけれど、他人を誹謗ひぼうしたり、人に読めない名前をつけるのはほめられたことではない。