親から子供への虐待は身体的なものだけとは限らない。言葉による暴力が子供たちを追いつめ、心に一生残るような傷を残すことがあるという。ノンフィクション作家・石井光太さんの『教育虐待 子供を壊す「教育熱心」な親たち』(ハヤカワ新書)第1章より、一部を紹介する――。
ソファでひざを抱えて縮こまっている少年
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子供の努力を踏みにじる親の発言

教育虐待において洗脳は出発点にすぎない。親は子供を自分の価値観で染めた後、今度はあらゆる手立てを駆使してわが子を自分の理想とするゴールに向かって走らせようとする。それが虐待と呼ばれる行為を引き起こすのである。

教育虐待の中でもっとも起こりやすいのが、親の言葉による暴力だ。

親の中には子供が思い通りの成績を取れなかった時、感情的になって暴言を吐き散らす人がいる。親の温かさを必要とする年頃の子供にとって、そうした強圧的な罵声は、いたいけな心をズタズタに切り裂く刃物となる。心に刻まれた傷はなかなか癒えることなく、場合によっては一生痛みを伴うものとなりかねない。

言葉の暴力としてよく見られるのが、子供の努力を踏みにじる発言だ。

「なんで、こんな簡単な問題も解けないんだ!」
「この成績で恥ずかしいと思わないのか!」
「これまで一体何をやっていたの?」
「自覚がまったく足りない!」
「努力をしているようには見えない!」

「子供のために心を鬼にして怒っているんだ」

教育虐待を受けている子供は、自分の意思ではなく、親の言いなりになって勉強をしている。そういう子供たちは、自発的に勉強をしている子供と比べると、学習の定着率が低くなるため、余計に苦労しなければならない。

子供にしてみれば、がんばってやったけど、この点数が精いっぱいだったという気持ちだろう。ゆえに、彼らはテストの点数より、日頃の努力を認めてもらいたいと考える。

だが、親の目に映っているのは、テストの結果だけだ。成績が良ければ努力していると考え、そうでなければ怠慢と見なす。だからこそ、いくら子供が必死になっていても、親はそれを人格ごと否定するような物言いをする。それが上記のような言葉として現れる。

親は自分がした発言を正しいと信じている。そんな彼らの常套句は次のような言葉だ。

「怒ったのは、子供にやる気になってもらいたいからだ。私だって本当は怒りたくない。でも、子供のために心を鬼にして怒っているんだ」

こうした考え方は、親の独りよがりでしかない。