子供をさらに追いつめる親のひとこと
虐待親は、往々にして子供から逃げ道を奪っていることに無自覚だ。だからこそ彼らは次のように言い放つ。
「私は強制をしたことなんて一度もない。やめたければいつでもやめていいって何度も言った。それでも勉強をしていたんだから、あの子は自分の意志でやったの」
やめられない状況に追いつめておきながら、やめたければやめればいいと言うのだ。
しかし、こうした状況下で、子供が自分の意志で受験勉強をやめる決断を下すことなどできるわけがない。子供は不本意ながら涙を流しつつ、「がんばります」「やらせてください」と答えざるをえなくなるだろう。
心が破壊されないよう感情を殺すようになる
このように見ていくと、教育虐待下において子供たちがいかに親に支配されているかがわかるのではないか。その中で心に傷を負っていくことこそが、心理的虐待と呼ばれる所以なのだ。
子供たちがこれによってどのような傷を負うのかについては、本書の第2章に譲りたい。ただ、教育虐待サバイバーの多くが、親に罵倒されていた当時をふり返って異口同音に発する言葉がある。次のようなものだ。
「親に罵倒されているうちに、感情が麻痺してほとんど何も感じなくなりました」
親の暴言に慣れたのではない。彼らは言葉という凶器によって心を破壊されるのを避けるため、あえて感情を殺すようになったのだ。
だが、親はそうしたことに気づかず、「何度言ってもわからない」「聞いていない」と言って、さらに罵声を浴びせかける。これによって心理的虐待がさらにエスカレートしていくのである。