人気の名前には、その時代や社会に欠けたものがあらわれる
名づけは大きくマクロの視点からみると、もっとわかりやすくなる。世の中全体の名づけには、その時代、その社会全体に欠乏しているものがあらわれるのである。
戦国時代には、信長、信玄、謙信、元信(家康のはじめの名)など、信の字がやたらに好まれた。それは駆け引き、だまし、裏切りが当たり前の、人が信じられない時代だったからである。
貧困と食料不足で苦しんだ昭和の前半の人たちは、わが子に稔、実、豊、茂、繁など、収穫をあらわす字をさかんに使った。
昭和の後半、有名校、有名企業、エリートサラリーマン、という一律の目標を押しつけられ、一律に受験競争に追い立てられて育った人たちは、名づけの際に個性、個性と言って奇抜な名前を好み、それが平成のキラキラネームの流行になった。
また平成以後の傾向として、動物、植物、海、空、山、太陽、星、光、音、宝石など、自然界の何かをあらわす字が圧倒的に多く使われてきている。これは自然が破壊され、自然と接することが少なくなっている時代を反映している。
今の時代に欠乏しているもの
では近年の名づけから見て、今の時代には何が足りないと言えるのか?
それは人と人、また人と社会の結びつきではないだろうか。
最近はさすがに悪ふざけのようなギャグ名前は下火になったが、人に読めない名前は依然として多い。呼び名は普通でも、正しく読めない漢字が使われるのである。
今は個人情報が人に知られると、どう悪用されるかわからない。知人にだけ読める名前にして、親しい人とだけつき合うほうが安心だ、という感覚が広まっている。
また、男の子に女の子の名前や、男女不明の名前をつけるケースも増えている(逆のケースはほとんど無い)。昔の日本と反対で、女の子を生み育てたい親が多いのだろう。ただし男女を間違える名前をつけられた男の子が、「ボクは望まれていない」という無言のメッセージを感じたりしたら、それもまた人間関係をこじらせる。
名前に使われる字も、結、心、優、絆、愛など、人間関係をあらわす字はずっと人気が高い。それは人間関係が希薄で、コミュニケーションがとりにくい世相だからといえるが、言いかえれば本当は親密な人間関係を求めている人も多いのである。
たしかに社会は理不尽で、怖い所ではある。でも現実に私たちはその社会で多くの人の世話になり、助け合って生きている。
今、頻繁に起きる凶悪犯罪に関わる人は、共通して人間関係が乏しい。育児ノイローゼや、子の虐待も、周りに話す人がない、孤独な母親に起きやすい。
私たちは、人を混乱させる名前を持ち、社会と距離をおいてもラクになれるわけではない。やはり人とつながる、人に迷惑をかけない、という姿勢を大事にすべきではないだろうか。