「文明=戦争」だった西洋と日本との違い

【茂木】そもそも「文明」の定義は、西洋人がつくった定義です。都市国家、高度な官僚制、青銅器、文字をセットと考えます。それに合わせると、縄文には文明がなく未開の原始社会だと思われてしまいます。しかし、あれだけの遺跡、見事な土器や土偶を残し、天体観測もやり、海上の交易も盛んだった……これが文明じゃないというのはおかしな話です。

【田中】本当におかしなことですよ。西洋文明がなぜ城塞都市をつくるのか? その根底にあるのは「恐怖」です。周りの敵から攻められるからつくっているわけでね。それを文明と呼んでいいのでしょうか。

【茂木】日本には他者への恐怖がなかった。脅威があるとすれば自然災害だけです。

【田中】日本人が初めて奈良盆地の「大和」に都をつくった時は、山を城塞としました。鎌倉幕府も周りの山が防壁になりました。そういう意味で、弥生時代以降、とりわけ奈良時代以降は西洋的、大陸的になってくるのですが、それでもわざわざ街に壁をつくったりはしませんね。

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地の利のある場所を都として活かしました。確かに、その頃になると日本人も戦争というのを意識してきます。「文明が戦争と共にある」という西洋の価値観は哀れなものです。

マヤ文明やアステカ文明は日本とちょっと似ている

【茂木】ちょっと似ているのが、中南米のマヤ文明やアンデス文明です。彼らは城塞をつくっていませんし、インカは文字もないですよね。でもあれだけの建築物を残しました。

【田中】マヤ、アンデス……あそこには縄文人が行っているのですよ。現地に行くと「日本の縄文人が来たんだ」「俺は日本人だ」という人もいてね(笑)。土偶や土器も、非常に似たものが沢山あります。それに北米の先住民(インディアン)の人々も、日本人に似ていますね。

【茂木】黒潮に乗り、アリューシャン列島の海流に乗って、北米、中南米へ渡っていった人々はいたでしょうね。東日本大震災の時の漂流物が、アメリカ西海岸まで到達しているのですから。