主語は国、社会、家、キャリアであり、女性ではない
この100年間、女性と子どもをテーマにした政策や言説は数多くありました。ただ、本当に女性たちが心から嬉しくなるような「言葉」はそこにあったのでしょうか。
「国と社会のため」が「会社と経済のため」に衣替えし、「妻として」「家にふさわしく」が「キャリアに資するから」「将来役立つ」へと変化しています。でも、そこにある主語は「国」「会社」「家」「キャリア」「将来」であり、女性自身ではありません。
昔の言説に目を向ければ、現代人の感覚からはあり得ない暴論が目白押しで、本当に酷いの一語に尽きます。ただ、一皮むけば、現在行われている数々のキャリア論や少子化議論も同じなのではないでしょうか。
だからこそ、女性たちは言葉なき抵抗をやめないのでしょう。
そろそろ、政策論争や有識者提言が、女性を弄んでいるということに気づくべき時です。歴史の流れを紐解きながら、女性の脱“玩弄”を考えることにいたします。
「女性は子育てに尽くすべき」と唱えた平塚らいてう
明治維新で近代化が進む日本。封建制や士農工商の身分制が崩れ、自由民権運動の活発化や近代法の確立など、旧弊刷新が進んだ時代。ただ、女性の権利は捨て置かれたままでありました。その後、殖産興業の進展に伴い、女性の活躍の場も広がり始め、そこに大正デモクラシーの自由な風が吹いたことで、女権の拡大に対して、ようやくもの言う風潮が奇跡的に生まれます。
やがて戦争へと進む歴史の中で、一瞬の輝いた時代に繰り広げられた、幼い「女権」×「母権」論争。「虐げられた環境」で、精一杯のあがきが続けられました。当代きっての女性論客である与謝野晶子と平塚らいてうが繰り広げたこの論争は、現代まで続く、「理想vs常識」という二項対立の原型でもあります。
振り返れば、晶子は理想を、らいてうは常識を語っているに他なりません。
らいてうは性別役割分担を積極的に受け入れ、女性は家に入り子育てに尽くすべき。代償として、政府がその費用を負うべきという「母権」論を語ります。こんな、ともすれば「女性は家に入れ」という意見が、当時のモガ(モダンガール)からは絶大なる支持を受けていました。のみならず、文豪のトルストイや、北欧女性運動家のエレン・ケイなど、著名な進歩的文化人が、こぞって、この考え方に拠っていたのです。