現代の感覚から読み解くと…

この両者を現代的な感覚で評価すれば、以下のようになるのではないでしょうか。

与謝野評 男女平等、アンチ性別役割分担という意味では至極まっとう。

ただ、国家の補助さえも半ば否定的なのは、いささか不思議な気もする。たぶん、彼女の活躍した時代は、全体主義的風土が強く、国家に対する信頼が乏しかったせいもあるだろう。現在であれば、国の補助に対して、彼女も違った見方をしたのではないか。

論拠の弱さは、当時の未成熟な労働社会において、本当に女性は自立できたか、という点。現代なら正しく思われるが、当時では疑問が持たれる。
平塚評 母性主義、性別役割分担甘受という点は違和感がある。が、悲劇的なほどの女性労働の不平等において、逃げ込み先として家庭労働があり、また、その際に、夫への従属感が増さないよう国家補助が必要という考え方は理解できる。ただし、悲劇的と彼女が示唆した女工労働だが、①それでも当時の実家での生活よりは上等、②男性の労働者、なかんずく鉱山や林業、製鉄所、などでも至る所で「悲劇的」であり、幼児労働さえ盛んだった。そうした現実を見たら、「誰もが(危ない)労働をせず家事に逃げ込むべき」と反論されそう。

らいてう「よい子を育てる母を国家がサポートすべき」

らいてうと晶子の二つ目の大きな違いは、国家による育児サポートにあります。らいてうは、育児期は夫の収入に頼る妻の立場は弱くなり、さらに自由も損なわれると唱えます。

「母親をして安んじて家にあって、その子供の養育並に教育に自身を捧げしめ得ると同時に、その生活を男子によらねばならぬ屈辱からも免れしめる」(「母性の主張に就いて与謝野晶子氏に与ふ」より)

現在の育児休業手当の概念と通じるところがあり、また夫に頼らざるを得ない環境からの脱出という意味でもよくわかる話です。

では、その原資はどこから出るのでしょうか。

「子供の数や質は国家社会の進歩発展にその将来の運命に至大の関係あるものですから、子供を産み且つ育てるといふ母の仕事は、既に個人的な仕事ではなく、社会的な、国家的な仕事なのです。そしてこの仕事は婦人のみに課せられた社会的義務で、これは只子供を産み且つ育てるばかりでなく、よき子供を産み、よく育てるといふ二重の義務となって居ります。しかもこの二重の社会的義務は殆ど犠牲的な心身の辛労を通じてでなければ全うされないもので、とても他の労働の片手間などのよくし得るものではありません。ですから国家は母がこの義務を尽くすといふ一事から考へても十分な報酬を与へることによって母を保護する責任があります。

その上かうして母性に最も確実な経済的安定を与へることは、母である婦人が母の仕事以外の職業に就く必要を除きますから、余儀なく子供を疎にしたり他人の手に任せたりする機会も減ずる訳で、自然児童の死亡率を低くし、その生みの母の無限の愛や感化や、真の母でなければ到底出来ない行き届いた注意や、理解によって、児童の精神も肉体も一般に健全なものとして育ちますから、国家の利益とも一致します」(「母性保護問題に就いて再び与謝野晶子氏に寄す」1918年7月より)

つまり、こうして育てられた子どもは、お国のため、富国・強兵に資するのだから、この女性の損失に対して、国は保障を行うべきとの考えがありました。