「親ガチャにハズれる」とはどういうことなのか

ここで、親ガチャにハズれるとはつまりどういうことなのかを、まとめておきましょう。これまで、8人の架空のケースを紹介し、分析してきました。彼らと親(あるいは子)の関係は様々です。

宮口幸治、神島裕子『逆境に克つ力 親ガチャを乗り越える哲学』(小学館新書)

親に関心をもってもらえていない子もいれば、親に関心をもたれすぎている子もいます。ロングスパンで過度の期待をかけられている子もいれば、ショートスパンでの子もいます。お金に困っている中でも資金を費やしてもらっている子もいれば、費やしてもらっていない子もいます。お金に困っていない中で好きなことをさせてもらえない子もいれば、特に禁止事項もなく可能な範囲で好きなことをしている子もいます。できることやなれることを性別で決められている子もいれば、そうでない子もいます。いろいろな親がいて、いろいろな子どもがいる。そしてみんな衣食住は整っていて義務教育以上の教育を受けているけれども、みんなそれぞれに幸せそうではありません。

彼らに共通しているのはなんでしょうか。まず親子関係があること。そして誰も互いに憎しみ合ってはいないということです。家庭内に暴力もなく、借金を抱えている人も犯罪者もいません。今のところは家出人もいないし、非行者も麻薬中毒者もいません。傍から見れば、富裕の差こそあれ、どこもごく普通の家庭です。

そして子どもたちはみんな親思いです。親に迷惑をかけないよう、期待に応えるためにそれぞれにがんばっています。幼い頃は親がすべてです。愛着の対象であり、依存の対象です。子どもにとって、親に逆らうことは勇気のいることなのです。

ハズレの子どもは「好き」を追求することが難しくなってしまう

子どもは親元で育つため、どうしても親の影響力が大きくなります。するとハズレガチャとはつまり、親元で子どもが、自分の「好き」を見つけることが難しいか、それを追い求めることが難しい状況に追いやられていることを意味します。

ですがここで重要なのは、親と子の人格が別である以上、誰もがハズレガチャを引いていると思い得るし、また言い得るということです。また親を責めたくなるけれども、明らかな虐待のケースを除いて、親を責めることは理不尽な場合があり得るということです。「親ガチャ」という言葉に抵抗がある人が多い理由は、ここにあるのではないでしょうか。

関連記事
【第1回】中学受験で燃え尽きた兄、勉強ができず家事と妹の世話をする小4弟…普通の家庭に潜む親ガチャのハズレ要素
「精神科医が見ればすぐにわかる」"毒親"ぶりが表れる診察室での"ある様子"
残業はないのにメンタルがぐったり…誰もが憧れる「ホワイト企業」に入った人が抱える"つらさ"の正体
「年収1000万円で幸福度は頭打ち」の説は覆された…ノーベル経済学賞受賞者が明かす「お金と幸せ」の本当の関係
浪人生は一発合格より地位が低く、地方に飛ばされやすい…医師の世界を支配する「学歴至上主義」の実情