ここで目を見張るのは、大須商店街の特徴とも言える変わり身の早さだ。それまで家具街だったエリアが、4、5年でパソコンショップだらけになったという。その後、ピーク時には大須商店街全体でパソコンショップは100店舗ほどに増え、秋葉原(東京)、日本橋(大阪)に並ぶ電脳街へと様変わりしていった。

客を呼び込むために始めた「大道芸イベント」

どん底から這い上がったもう一つのきっかけが、アメ横ビルが開業する2年前、1975年に立ち上がった「アクション大須」だ。アクション大須とは、名城大学・池田芳一助教授の呼びかけで開かれた祭りのこと。学生をはじめとする若者たちが商店街を舞台にさまざまな催し物を実施し、話題を集めた。

これをきっかけに、78年には「第1回大須大道町人祭」が地元住民たちの手で開かれる。当時日本で初となる大道芸のイベントで、50万人もの人が押し寄せた。それから途絶えることなく、今でも毎年秋に開かれる大須商店街最大のビッグイベントとなっている。

写真提供=大須商店街連盟
大須大道町人祭の様子

祭りは人々の耳目を引く格好のツールだと、堀田さんは強調する。

「お祭りの時に人がいっぱい来ても、なかなか買い物まではしてもらえないでしょう。でも、『今度の休みはここら辺を歩いてみよう』と思ってくれるんです。実際、祭りの翌週は通行量が増えることが多い。祭りや催事はその場限りのものではなくて、新たな客を呼ぶために大事だと思います」

アクション大須、そして大須大道町人祭の成功を糧にして、大須商店街は年を追うごとにイベントごとを増やしていった。

「今では、大須に来ると何かやっているというイメージを多くの人たちが持っていると思います。商店街のイベントだけでなく、神社や寺の祭りも頻繁にあります。これだけの数をやっている商店街は、全国を見てもなかなかないですよ。昔から街の先輩たちが『とにかくお客さんに大須に来てもらわないと商売にならない。いかに来てもらえるか知恵を絞らなきゃならん』とよく言っていました。その成果が表れています」

オタク文化、食べ歩きブームを逃さない

アメ横ビルや祭りによって集客力が高まったことは、商店街全体の一体感にもつながった。それ以前は個店ごと、あるいは通りごとにバラバラで、皆が私利私欲に走っていた。

「通りだけのイベントはやっていましたが、全体のまとまりはなく、お互いに仲が悪かったです。栄や名駅ではなくて、隣の通りをライバル視する近視眼的な状態でした。でも、アクション大須などの実績を見て心が動いたわけです。皆、商売人ですから、全員で力を合わせたほうが、結果的に自分の店にもお客さんが集まることがわかった。そうなれば、通り同士がいがみ合っても仕方ない。大同団結しようと」