「私を産んだことを忘れてください」

――「母親」になったら降りることができない、という強い呪縛のようなものを感じます。このことについてどのようにお考えでしょうか?

河合香織『母は死ねない』(筑摩書房)

本当に母という役割からは降りることができないのでしょうか。最近、宗教2世をテーマにした『ココロのバショ』という映画を見たのですが、成人になった子どもが母親に手紙を綴るシーンで「私を産んだことを忘れてください」と書いていたことが強く印象に残っています。極端な例ですが、その子どもにとって、母と子という関係が強い呪縛だったんだと思うんですよね。

自分が産んだとはいえ、子どもは別人格なわけですから、子どもには子どもの人生があるとしっかり認識しなければいけない。映画の中では、子どもの側から親の手を放したわけですが、子どもがある程度の年齢になったら、親のほうから子どもの手を放してあげることもできると、私は思っています。

知ること、比較しないことでしんどさから抜け出す

――最後に、「母」であることに苦しんでいる読者に対してメッセージをお願いします。

撮影=市来朋久
ノンフィクション作家の河合香織さん

私自身が「母」に課せられた重荷の正体を知らねば先に進めないという気持ちでお話を聞き、さまざまな「母」のあり方を知ることで視野が少しずつ広がっていきました。

「かくあるべき」母というものはなく、いろいろな母の形があっていいことを知ることが重要ではないかと思います。いろいろな母の姿を知っていくと、「正解」や「最短距離」や「普通」なんてないことがわかるのではないでしょうか。そのうえで自分と他者をあまり比較しないことが、苦しみから抜け出すうえで必要なことだと思います。

(構成=佐々木ののか)
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