戦争で親をなくした私を救い出してくれた“お母さん”

実の母は、私が4歳のときに亡くなったといわれています。戦争の最中のことなので、私自身、何が真実かわからずに今まで生きてきました。でも、私の人生で間違いようのない真実があるとすれば、母・フローラ(=お母さん)と出会えたこと。これは永遠の財産です。フローラは育ての親。子どものころは「偉大で、強い人」という印象でしたが、私が大人になるにつれ、母が生身の弱い人間だということに気づき、私が守ってあげなきゃダメな人なのだと思うようになりました。フローラは養母とか実母とかそんな概念を超えた、私の大切な存在なのです。

養子縁組をしたころのふたり、祖国イランで。血はつながっていないが、ふたりはとてもよく似ていて、義理の関係だと気づく人はいなかった。サヘルさんは、大好きな母・フローラさんに少しでも似せたくて、話し方や所作をまねるように。今では、祖母(フローラさんの実母)でさえ、声を聞き分けることができないという。
養子縁組をしたころのふたり、祖国イランで。血はつながっていないが、ふたりはとてもよく似ていて、義理の関係だと気づく人はいなかった。

フローラに出会ったのは4歳のとき。祖国イランが、イラン・イラク戦争で困窮していた時代です。そのころ、私は孤児院で生活しており、フローラはその孤児院にジャムを持ってきてくれたのです。それというのも、里親を募集するテレビCMで、「私たちは家族を探しています。ぜひ、私たちに会いに来てください。そして甘いジャムを持って来てください」と訴える女の子が気になったからだそう。

その女の子というのが私。孤児院に訪れるようになったフローラは子どもたちの人気者となり、フローラの争奪戦が始まるほどでした。私は、やさしいフローラと少しでも長くいたくて、「お母さんになって」とお願いするのですが、フローラは困った顔をするだけ。そしてあるとき、帰ろうとするフローラに「連れて行って!」としがみついたのですが、フローラから何の言葉も返ってきませんでした。でも、数カ月後、フローラは私に言ったのです。「私の子どもになる?」と。