「核共有」と「核の傘」のリアルな違い
安倍氏は「欧州5カ国は、核攻撃を受けたとき、どの核を使うかを決めている。実戦に備え、そのための訓練もしている。日本が、米国に対し、日本が核攻撃された時にどの核を使うのかと聞いても、米国は言わない。そこが全然違う」と語っていた。
「核の傘」とは具体的には何を指すのか。米国から差し掛けられた傘は3本あるというか3種類ある。
まずは核を搭載したICBMだ。米国北部のワイオミング・ワーレン、モンタナ・マルムストローム、ノースダコタ・マイノットの3空軍基地に400基ほど配備されている。次に、SLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)が280基で、原子力潜水艦12隻に搭載され、どこか分からない海に潜んでいる。
3本目は、ALCM(空中発射巡航ミサイル)だ。B52戦略爆
「非核三原則」は現実的な政策か
日本が米国の「核の傘」に入ったのは、1965年1月だ。佐藤栄作首相が訪米し、日米首脳会談に臨んだ際、ジョンソン米大統領に「日本が核抑止を必要とするなら、米国はそれを提供する」と切り出され、これに即応したことによる。1964年10月、当時の東京五輪の最中に中国が核実験を成功させたため、米国にも日本の核武装を封じる狙いがあったといわれている。
佐藤首相は「核の傘」入りした後の1967年12月の衆院予算委員会で、「持たず、作らず、持ち込ませず」という「非核三原則」を表明する。だが、69年、沖縄返還交渉が進む中、佐藤氏は「持ち込ませず」は誤りだった、と密かに軌道修正を図る。
同年11月のニクソン米大統領との会談で沖縄返還協定を締結した際、「沖縄核密約」に署名した経緯がある。極東有事の際、沖縄に核兵器を再配置する事前協議に対し、日本政府が「遅滞なくそれらの要求を満たす」ことを約束した合意議事録である。
岸田首相は「核共有論」を一蹴した
その後も「非核三原則」を見直すべきだとの声は少なくない。こうした安倍氏の問題提起は、実を結ばなかった。
岸田首相は、2022年3月14日の参院予算委員会で、立憲民主党の福山哲郎氏に核共有論への対応を問われ、「日米同盟の下、核の拡大抑止は機能しているからこそ、核共有について議論を考えないことを再三、申し上げている」「非核三原則などとの関係から議論することは考えていない」と述べ、政府内の議論を封印してしまったのだ。