「核共有」と「核の傘」のリアルな違い

安倍氏は「欧州5カ国は、核攻撃を受けたとき、どの核を使うかを決めている。実戦に備え、そのための訓練もしている。日本が、米国に対し、日本が核攻撃された時にどの核を使うのかと聞いても、米国は言わない。そこが全然違う」と語っていた。

「核の傘」とは具体的には何を指すのか。米国から差し掛けられた傘は3本あるというか3種類ある。

まずは核を搭載したICBMだ。米国北部のワイオミング・ワーレン、モンタナ・マルムストローム、ノースダコタ・マイノットの3空軍基地に400基ほど配備されている。次に、SLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)が280基で、原子力潜水艦12隻に搭載され、どこか分からない海に潜んでいる。

3本目は、ALCM(空中発射巡航ミサイル)だ。B52戦略爆撃機46機に200基搭載されている。発射されると、対地高度135mまで落下した後、飛翔誘導を開始する。B52 は、2018年までグアムにも配備されていたが、米本土に引き揚げた今は無給油で飛来しては航空自衛隊と共同訓練もしている。

「非核三原則」は現実的な政策か

日本が米国の「核の傘」に入ったのは、1965年1月だ。佐藤栄作首相が訪米し、日米首脳会談に臨んだ際、ジョンソン米大統領に「日本が核抑止を必要とするなら、米国はそれを提供する」と切り出され、これに即応したことによる。1964年10月、当時の東京五輪の最中に中国が核実験を成功させたため、米国にも日本の核武装を封じる狙いがあったといわれている。

群衆と握手を交わすリンドン・B・ジョンソン大統領(写真=Yoichi Okamoto/PD US Government/Wikimedia Commons

佐藤首相は「核の傘」入りした後の1967年12月の衆院予算委員会で、「持たず、作らず、持ち込ませず」という「非核三原則」を表明する。だが、69年、沖縄返還交渉が進む中、佐藤氏は「持ち込ませず」は誤りだった、と密かに軌道修正を図る。

同年11月のニクソン米大統領との会談で沖縄返還協定を締結した際、「沖縄核密約」に署名した経緯がある。極東有事の際、沖縄に核兵器を再配置する事前協議に対し、日本政府が「遅滞なくそれらの要求を満たす」ことを約束した合意議事録である。

岸田首相は「核共有論」を一蹴した

その後も「非核三原則」を見直すべきだとの声は少なくない。こうした安倍氏の問題提起は、実を結ばなかった。

岸田首相は、2022年3月14日の参院予算委員会で、立憲民主党の福山哲郎氏に核共有論への対応を問われ、「日米同盟の下、核の拡大抑止は機能しているからこそ、核共有について議論を考えないことを再三、申し上げている」「非核三原則などとの関係から議論することは考えていない」と述べ、政府内の議論を封印してしまったのだ。