1年以上返事はなかった
本を出したかったわけではない。
学生時代は論文魔だったから学術出版の経験はあったし、マッキンゼーに入社する前後には、『悪魔のサイクル』という本を出版していた。日立時代に取っていたメモを元に、日本の企業社会に蔓延する日本人の寄りかかり的な物の見方、考え方にダメ出しした本で、実はこれが本当の処女作である。
高校のクラスメートの紹介で小さな出版社をやっている人と知り合って、「明文社」という今はなき出版社から出した。初版3000部。週刊新潮の書評で「素晴らしい」と異例のお墨付きをもらったが、まったく売れず。後に、プレジデント社に版権を移して装丁もドレスアップして再販したら、3万部くらいは売れたらしい。
本を出したいというよりも、自分がせっせと書き溜めたものをひとつの形にまとめたいという気持ちだった。
私から大学ノートを受け取った守岡さんの反応がどうだったか、もう覚えていない。その場でパラパラと見て「ふん」という感じで鞄に差し込んだような気がする。
その後、守岡さんからはうんともすんとも言って来なかったし、こっちも新人で仕事が超忙しかったから、大学ノートのことなどすっかり忘れていた。連絡がきたのは、一年以上が経過してからだった。
「読んでみたら結構面白い。出版しましょう」
どうして守岡さんがそのタイミングで出版する気になったのか。タイミングをじっくり温めていたのか、それとも埃を被った大学ノートをたまたま手に取っただけなのか、守岡さんに聞いたことはない。
どちらでもいい。こっちも忙しかったから「どうぞ、勝手にやってくれ」である。そこから、あれよあれよという間に本に仕上がって、『企業参謀』は世に出た。1975年5月、32歳のときだった。
「私はこの奇才を世に出すことに出版屋の使命感のようなものを感じている」
守岡さんが本のカバー袖に書いた言葉である。当人、大のお気に入りのフレーズだったが、さすがに1年で16万部も売れるとは思ってもみなかったらしい。売れた途端、毎日のようにやってきて、「またやってくれ」「他にはないか」とせっつかれた。おかげでカラカラになるまで頭の中を搾り出された。
2011年11月30日、その守岡さん(のちプレジデント社社長)がお亡くなりになられた。衷心より哀悼の誠を捧げたい。
次回は「『企業参謀』誕生秘話(2)——この書名に込めた狙い」。8月13日更新予定です。