初対面の編集者に手渡し

マッキンゼー社長リー・ウォルトンJr.インタビュー(「プレジデント」1973年2月号)。大前さんはこの取材時に通訳として同席。『企業参謀』誕生の出合いはここから始まった。

私はメモ魔である。きっかけは中学1年生のとき。音楽の先生から、「聴いた曲のメモを取りなさい」と言われた。たとえばベートーベンの交響曲『田園』の第一楽章はどのような楽想か、聴いてどう感じたか、音楽日記のようなものを書くように指導された。

先生の言いつけはまともに守らなかったが、これだけは大学院に入るまで12年間続けた。大学ノート何十冊になっただろうか、クラシックを聴くたびに日記を付けたので、ほとんどの作曲家の大体の作品は頭に入っている。

日々の出来事を振り返る趣味はないが、音楽日記をつけるようになってから、自分の考えついたことや学んだことを書き出す習慣がいつの間にか身に付いていた。

経営コンサルタントというまったく未知の世界に飛び込んでみれば、メモすることは山ほどある。マッキンゼーはどういう会社なのか、経営とは何か、コンサルティングとは何をやるのか——。自分なりに気づいたこと、理解したことや考えたことを大学ノートにメモで書き留めていくと、2年間でちょうどノート1冊分くらいになった。

1972年の暮、当時のマッキンゼーの社長だったリー・ウォルトンJrが来日して、プレジデント誌のインタビューを受けることになった。所長のジョン・トームから「お前が通訳をやれ」と命じられて、どういうわけか私が通訳をすることになった。

東京事務所にプレジデント社(当時、ダイヤモンド・タイム社)の守岡道明さんがやってきて、インタビューはつつがなく終わった。守岡さんとは初対面である。プレジデント編集部次長と聞いていたので、行きがけの駄賃と思って、見送りついでに件の大学ノートを手渡した。

「実は私はこういうのを書いているんですが、出版できるかどうか、機会があったら見てやってください」