「自然は正しい」という日本人の共通認識
天皇の下で民は平等であり、それぞれの役割を知り、役目を果たすために一生懸命に頑張り、欲張ることなく豊かさを共有していました。もしもここ2000年間の幸福度の統計を取ったとすれば、日本の平均値はかなり高いものになるのではないかと思います。
その背景には、自分たちを育んでくれる自然に対しての深い敬愛がありました。自然は正しいものである、という日本人の共通認識がありました。
日本人は自然の中にこそ生きてきました。自然を深く観察し、自然に沿った生き方をしていれば幸福に生きていけるのだということを理解していました。
自然を素直に、深く観察していれば、「人間だけが神に似せてつくられた」などという発想は出てきません。人間が最高であり、その他の動物や植物、つまり自然は人間に隷属するものだ、などという思想は生まれません。
支配・被支配の階級社会と、そこに生じる階級闘争といった発想、あるいは状況は日本では生じえません。西洋、あるいは中東、中国大陸といったところの文明においては、9割の人間が被支配層として支配層に隷属する、という関係で社会が成立しているのが一般的です。
日本文明を正しく見直すことが幸福への道
現代日本に翻って考えると、日本の会社は元来、「会社も従業員のためのもの」という発想で経営されていました。働く人たちが幸福になることを大前提の目標として運営されていたのです。
会社を構成しているのはまず「人」であり、人の手で工夫が重ねられていく「技術」でした。あくまでも働いている人間が中心でした。
日本人が幸福な生活を守り、あるいは、より幸福に生きていくためには、そもそもの日本文明を正しく見直し、改めて取り入れ、社会構造をつくり直すことも必要かもしれません。日本人の幸福の基本的な考え方や行動パターンはもちろん今でも残されています。
だからこそ、日本文明というものを世界中に発信していく使命もまたあるだろうと思います。
現代の日本には多くの錯覚が存在します。明治以来、西洋の発想を取り込む過程で肥大化していった幻想が至るところにあります。
日本の文明はそもそも特別で独自であり、かけがえがありません。そして日本人は、その文明に育まれた豊かな思想を持っています。
「利他的なほうが人間は幸福になることができる」という考え方こそ日本人を幸福にしている要因であり、また日本人の幸福そのものなのです。