産業革命で生活に余裕が生まれるはずが…
1848年にマルクスとともに『共産党宣言』を発表して資本主義を徹底的に批判することになるエンゲルスは、1845年に発表した『イギリスにおける労働者階級の状態』という論文で、イギリスの労働者の生活を次のように描写しています。
「貧民には湿っぽい住宅が、即ち床から水があがってくる地下室が、天井から雨水が漏ってくる屋根裏部屋が与えられる。貧民は粗悪で、ぼろぼろになった、あるいはなりかけの衣服と、粗悪で混ぜものをした、消化の悪い食料が与えられる。貧民は野獣のように追い立てられ、休息もやすらかな人生の楽しみも与えられない。貧民は性的享楽と飲酒の他には、いっさいの楽しみを奪われ、そのかわり毎日あらゆる精神力と体力とが完全に疲労してしまうまで酷使される」
明治維新期の日本は、このような西洋を見習おうとしていたのです。今でも、こうした勘違いは変わりないのかもしれません。
イギリス料理と言われて思い浮かぶのは、フィッシュ・アンド・チップスと呼ばれる、魚類のフライとフライドポテトの盛り合わせくらいです。豪華で格別に美味しい料理を思い浮かべることはあまりありません。
イギリス人は元来、(アメリカ人も同様ですが……)食に関しては大雑把なところがありました。
産業革命で人々の生活には余裕が生まれるはずでした。イギリスの労働者がやっと日常生活に喜びを見出そうという時に、産業構造上、労働者への搾取が厳しくなり、日々を仕事に追われ、ついに食生活に喜びを見出す機会を失ってしまったのだという説もあります。
西洋の社会システムに倣いすぎると不幸になる
現代日本の生活が、忙しく辛く、疲れることが日常的で楽しいことが例外的になってしまっているとすれば、それは西洋の社会システムに無反省に倣いすぎているためかもしれません。
16~17世紀のイギリスの哲学者フランシス・ベーコンは、「自然科学は自然を明らかにすることによって人類の福祉に貢献する」と言いました。産業革命はその実現を目指したものです。
蒸気機関の発明と鉄の生産力の向上は、ヨーロッパの人々の生活問題を飛躍的に改善したかのように見えます。確かに、国民統計などの数字の上では乳幼児の死亡率、平均寿命、文盲率、エンゲル係数などは向上しました。しかしそれは、見かけの数字だけの改善であり、数字だけの生活水準の向上ということでした。