「日本だけは大丈夫」という勘違い

だが、例外的に言及の少ない国がある。それが日本だ。

本書において日本は3回しか登場しない。たったの3回である。アメリカの同盟国の中でも、巨大な政治経済上のパートナーでもある日本に対して3回の言及とはいかにも不自然だ。なぜなのだろうか。

言うまでもなく、著者の学問的守備範囲の問題はある。だが、背景には、日本の政治社会が相対的に安定しており、中東やアフリカの一部など、日々国際ニュースをにぎわす政治的暴動から一見無縁なのも理由としてあるだろう。ひいてはアメリカでの銃乱射事件は、3年連続で年間600回を超えている。日本を同列に論じるのはそもそも無理がある。

しかし、私からの「言及3回」の理由を問い合わせるメールへの返信において、必ずしも、原著者ウォルターが日本の現状に楽観的でないことが判明している。ウォルターは、本書で記述される内戦や暴動を日本における近未来の姿と考えるべきと警鐘を鳴らしている。

「ここで述べられていることは、私たちの世界を取り巻く真実の姿にほかなりません。それらが日本で生活する皆様にとっても、遠からず訪れるであろう未来であることは否定できません。読者の皆さまにおかれましては、アメリカはじめ世界各地における切迫した現実をあらかじめ知っていただき、それらの経験を賢明に用いていただけることを願っています」

この返信は、日本版へのメッセージとして許諾を得たうえで冒頭に掲載している。他国の騒擾そうじょうを他山の石とすべきとの認識をもとに、日本の個別解については、日本人自らの手で解いていかなくてはならないのだろう。