最も危険なのはSNS

日本の場合、これはどのように理解できるだろうか。

ウォルターの著作の中でも最も危険とされているのが、SNSである。ウォルターは、内戦を防ぐためにまずなすべきことは何かと問われて、「それはソーシャル・メディアとそれらを運営するテック企業を規制すること」と即答している。

企業への規制自体は一般的に行われていることである。わかりやすいのは、医療や製薬、あるいは食品など人体と直接的な関わりを持つ企業活動だ。それについては、行政による厳しいチェックを経たり、報告義務を課せられたりするなどの実質上・手続き上の義務が定められるのがむしろ普通である。

一方で、SNSは人体に直接の影響はないものの、人間精神の細胞上の組成に致命的な影響を及ぼしている。たとえば、研究によれば、人は他者の幸福よりも不幸に、あるいは喜びよりも怒りに強く反応するという。これは良い悪いではなく、1つの事実だ。怒りは人を呼び寄せるからだ。

SNSの運営主体は純然たる私企業である。企業は株主に対して業績上の責任を負っている。憎悪の連鎖が生じて、SNSの大炎上が発生するということは、それだけ利用者の間で広汎な閲覧がなされているわけだから、SNSの宣伝効果を高めているのと同じことになる。

すなわち、憎悪を拡散し、分断を助長するほどに企業は儲かる。ウォルターは、この状況に毅然きぜんとして対応すべきであると主張している。

人々の挙げた手の上に「PROTEST」の文字
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ネット上の“仕掛け人”たち

現在、Twitter、Instagram、TikTokなどを見る限り、そこには、危険な存在がうようよ棲息しているのに気づかされる。

実は、先ほど内戦に至る要因を雪崩にたとえたのだが、この比喩には1つポイントがある。それは、内戦とは、純然たる自然現象ではなく、それを引き起こす人為的きっかけを待っているという点である。その意味では、内戦とは、「誰かが起こすもの」である。

彼らのことをウォルターは「仕掛け人」と呼ぶ。このような仕掛人は、とかく「火のないところに煙を立てる」天才的な能力と手腕を発揮している。

もちろん当人たちに内戦を起こそうなどという大それた意図はないかもしれない。しかし、結果として、分断をあおり、人々を対立させる点において、YouTubeやTwitterでの一声が時に大雪崩を引き起こす振動となり、ガスの充満した部屋で擦られる1本のマッチとなるのだ。