「宴会の時間を短くして欲しい」

話が逸れたが、宴席の達人の角栄でも失敗したことがある。

1972年の国交正常化に際しての訪中時だ。当時の外務大臣の大平正芳の秘書だった森田一氏は田中の要望で中国側に、不思議な要求をした。

栗下直也『政治家の酒癖』(平凡社新書)

「宴会の時間を短くして欲しい」。何回も交渉した結果、最終的に30分だけ短くなった。誰もが田中がなぜそんなことにこだわるのか首をひねったが、森田氏には角栄の気持ちが理解できた。歓迎の酒を飲みすぎて余計なことを喋るのを危惧したのではないかと。

実際、その不安は的中した。訪中すると、連日いくつもの宴席が用意されていた。当初は慎重な構えを示していた角栄だが、疲れも手伝い、酒を飲むと移動中に寝てしまうこともあったとか。

そうした中、最終日に緊張の糸が緩んだのか、ガブ飲みしてしまい、側近に抱えられて宴席を後にした。同行した外務大臣の大平も本来酒を飲まないのに、乾杯攻勢に抵抗できず、十数杯乾杯を重ねたためホテルの部屋でぶっ倒れてしまったというから「歓待」ぶりがわかる。

角栄は1985年に倒れ、半身麻痺と言語障害を起こす。再起不能と判断されたがリハビリに励み続けた。

キングメーカーとして復活はならなかったが、1992年に中国との国交正常化20周年で訪中する。右半身は麻痺状態で言語も発せられなかったが、李鵬首相(当時)と左手で握手し、病人なのに大丈夫かという周りの心配をよそにマオタイを数杯空けた。肺炎により死去したのは再訪中から約1年4カ月後だった。

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