ブランデーをロックで飲むオレ流

角栄はその後、死ぬまでウイスキー党だったが、昭和40年代の前半に数年間、浮気した。

1965年、角栄は日本テレビの「大蔵大臣アワー」というテレビ番組に出演していた。

毎週木曜日23時15分からの30分番組で、文字通り大蔵大臣の角栄が出演する。情報教養番組という触れ込みだが、実際は自身や自民党の宣伝番組だった。民間企業がスポンサーについた番組で特定の党の宣伝をするのはどうなんだと大問題になり、3カ月で打ち切られた。

あるとき、この番組の収録の打ち上げが角栄の事務所で開かれた。ジョニ黒を飲む角栄に参加者のひとりが「ブランデーはないの」と尋ね、興味を持つ。早速買い求め、「レミーマルタン」や「ヘネシー」を愛飲するようになる。

角栄の周囲には「ブランデーはグラスを手のひらで包み込むようにして持つことで、体温が伝わりブランデーの芳香が立ちのぼるのを楽しむものですよ」などとうんちくを語る者もいたが全く気にしない。濃いブランデーをロックか水割りで飲んでいた。角栄はあくまでも我流だ。

黒い背景に氷とグラスにウイスキーを注ぐ
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ブランデーを飲み始めるとブランデー一筋になるが、体の老いには勝てない。血糖値が高すぎるとの医師の助言もあり、糖分が高いブランデーからウイスキーに戻す。そして、1971年あたりから好んだのが「オールドパー」で、1985年2月末に脳梗塞で倒れるまで飲み続けた。

盟友・大平正芳とすき焼きで揉める

余談になるが食べ物も角栄流を貫いた。生粋のしょうゆ党で「しょうゆの角さん」とも呼ばれた。寿司にこれでもかとしょうゆを付けるのは言わずもがな、ラーメンやうな重にもしょうゆをかけた。

大平正芳とは盟友だったが、食では対立した。ふたりでしばしば会食したがメニューはきまってすき焼き。店員に任せず、勝手に味付けして食べるのだが、辛党の角栄に対し、大平は甘党。

大平が砂糖を加えると角栄は「甘すぎる」としょうゆ漬けと思えるくらいにタレを濃くする。当然、大平は「たまらん」とばかりに砂糖を足す。政治もすき焼きも駆け引きが重要といったところか。