極論に引き裂かれる社会を救うには
今回の問題について、私は次のことが重要だと考える。
1.まずは議会の中の民主主義にまだできることがあると信じ、立法、政策といった民主主義の王道で粘ってみることを重視するべきだ。
2.次に議会の中の民主主義が機能不全に陥っている場合にやむを得ず行われる、自己抑制的で非暴力的な市民的不服従、つまり、つねに自己が誤っている可能性を疑い、自己点検を怠らない市民的不服従については、正当に評価するべきだ。
3.そして抑制を欠き、自分たちの正義の無謬性を狂信し、カルト的な要素すら含む活動については、そこに市民的不服従の名を認めず、距離をとるべきだ(JSOやLGらの思想的背景を研究することは、ここに貢献することになる)。
これらはすべて「凡庸な」提案である。たが、世間やネットの意見が両極端に振れ、それに埋め尽くされる場合には、「凡庸」は「中庸」に姿を変え、よりよき社会の実現のための一助となるかもしれない。