活動家たちを突き動かす2つの概念

さて、短期的に見れば、一連の運動の盛り上がりは、22年11月にエジプトで開催された国連気候変動枠組条約第27回締約国会議(COP27)を意識したものだったということになろう。また22年2月のロシアによるウクライナ侵攻以降、英政府が環境リスクを伴う北海油田・ガス田の開発拡大に進んだことへの大衆的反発も、JSOの運動を盛り上げたと言える。

しかし以上のような説明で、かれらの内在論理をすべて分析できたわけではない。第一に、なぜ彼らにとって違法行為へのハードルが低いのか。そして第二に、なぜこうした違法行為によってでも気候変動への注意を引かねばならないほど、彼らは切羽詰まっているのか。

筆者はそこに、「市民的不服従(Civil Disobedience)」と「環境的黙示録(Environmental Apocalypse)」という2つのテーマが大きく関わっていると考える。前篇の本稿ではまず、第一の「市民的不服従」について考察してみたい。

「市民的不服従」とは何か

JSOやLGらは、自分たちの行動を「市民的不服従」という概念で正当化する。一体それはどういう考え方なのか。

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市民的不服従とは、『ウォールデン・森の生活』で知られる19世紀アメリカの作家、ヘンリー・デイヴィッド・ソローの講演とそれを元にした書物(『市民の反抗』(岩波文庫ほか、原題はCivil Disobedience「市民的不服従」)に端を発する対抗の思想である。この思想はインド独立の父であるマハトマ・ガンディーや、公民権運動の中心的人物、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師にも多大な影響を与えた。

ソローは、1846年のアメリカ=メキシコ戦争を不法なものだとみなし、不正な戦争に使われるからという理由で人頭税を支払わず、結果、投獄された。税金を払わない、という違法行為によってアメリカという国家の不正に抵抗しようとしたわけである。

またソローは講演とそれを元にしたエッセイ『ジョン・ブラウン大尉を擁護して』(1859年講演、1960年出版)において、奴隷制廃止活動家であり、奴隷を解放するために息子や仲間たちとハーパーズ・フェリーの武器庫を襲撃し、その結果絞首刑になったブラウン大尉という人物を称賛した。

このようにソローは、不正を冒すことで守られる正義や、法を超える正義がある、ということを定式化したわけである。