問答のきっかけは「デルフォイの神託」
ソクラテスは、この本の中で「自分は貧乏や」と言っていますが、それでも生活できたのは、勉強が好きな人は勉強していたらええで、ご飯ぐらい食べさせてあげるで、という余裕が社会にあったから。中国の諸子百家やインドの六十二見など、当時、ギリシア以外にもたくさんの思想家や学者が登場したと言われています。
プラトンが書くところによれば、ソクラテスは、朝から晩までいろんなところに行っては問答をしかけていました。
ソクラテスがそんなことをするようになったきっかけは、「デルフォイの神託」です。古代ギリシアでは国事でも個人のことでも、デルフォイにある社で巫女ピュティアからアポロン神の意を伺う慣習がありました。
そこでカイレフォンという人物が「ソクラテスより知恵のある者が誰かいるか」と尋ねたところ「誰もいない」という託宣があったのです。
「無知の知」ではなく「不知の自覚」
だけどソクラテス自身は、自分はそれほど賢くないと思っていました。
神は、一体何をおっしゃっているのだろう。何の謎かけをしておられるのだろう。(30ページ)
とあります。
自分では賢いと思っていないのに、神様から一番賢いと言われた。ほんまやろかと。それは自分で考えていてもわからない。そこでソクラテスは実証を始めました。世間で賢いといわれている人のところを訪ねて問答をしかけるのです。
そうしているうちにソクラテスは、次のような考えに至りました。
私はこの人間よりは知恵がある。それは、たぶん私たちのどちらも立派で善いことを何一つ知ってはいないのだが、この人は知らないのに知っていると思っているのに対して、私のほうは、知らないので、ちょうどそのとおり、知らないと思っているのだから。(31~32ページ)
ソクラテスのこの言葉を日本では「無知の知」と説明することがあるのですが、この本では訳者の納富先生が、知らないと「知っている」ではなく、知らないと「思っている」と訳しています。ソクラテスはそういう慎重な言い方をしていたので、注釈でもこれは「無知の知」ではなく「不知の自覚」であると指摘しています。