過度な安全志向が「中庸」な案を生む
最近聞いた話によれば、とある役所では「何もしない人が出世しがち」なのだという。「何もしない人」「何も決めない人」は失敗しないから、というのがその理由らしい。決定者にならないこと、問題を先送りすることこそ、減点方式の評価がまかり通る日本ではもっとも賢い処世術なのである。
日本ではビジネスの世界でも学校でも、とにかく「何か問題があった際には怒られないように立ち回ろう」「問題が発生したとしても『最善を尽くした』と言えるようにしよう」といった考え方に陥りがちである。だから意思決定が遅い。
2022年1月19日、イギリスのボリス・ジョンソン首相(当時)は、イングランドで導入されていたコロナ対策の「プランB」を同月27日に終了すると宣言。これにより、マスク着用義務は終了となった。発表からわずか8日後の決行である。
一方、日本は方針を出した2023年1月27日から約100日後に新型コロナウイルスを5類へ変更すると発表した。日本の意思決定の遅さは、国際競争に臨むにあたり、致命的に足を引っ張る。なぜ意思決定が遅いかといえば「誰かのメンツを潰すかもしれない」「この決定をしたら不安に思う人がいるかもしれない」「私がここで意思決定をしてしまった場合、上から怒られるかもしれない。それはなんとしても避けたい」という3つの考えが理由として挙げられる。また「より安全な策を取る」という意識も強いため、波風が立たない形で採用される可能性が高い「中庸」な案を必ず準備しておくことが多い。
あいまいなマスク着用の方針が示された
この「中庸」というヤツが実に厄介で、そうした方向性の案を採用した場合、その後の意思決定が大幅に遅れてしまうのだ。それがよく表れたのがマスクの扱いである。前述したように、厚労省は2023年2月10日に「マスク着用の考え方の見直し等について」という方針を発表。それまで屋内で推奨されたマスク着用の取り扱いを行政がルールとして求めるのではなく、同年3月13日以降は「個人の主体的な選択を尊重し、着用は個人の判断に委ねることを基本」とする形になった。
文書ではここから説明が延々と続くのだが、読み進めていくと「政府は各個人のマスクの着用の判断に資するよう、感染防止対策としてマスクの着用が効果的である場面などを示し、一定の場合にはマスクの着用を推奨する」という一文がシレッと登場する。個人の判断である、と述べつつも、これを読んだ施設などが「要するに、これからもマスク着けてもらわなくちゃいけない……ということかな」と忖度する余地を十分に残している。そんな、あいまいでつかみどころのない指針が示されたわけだ。
適用される日付が3月13日というのも謎である。あのさ、12日まで着けていたマスクを13日から外せることにした根拠はなんだ? どうせ「発表から1カ月後あたりで、ちょうど週初めの月曜日だから、まあ、いいタイミングじゃないすか」程度の理由だろう。科学的な根拠は一切ない。文書はそこから先もダラダラと注意事項が並び、満員電車では着けろだの、特急列車ではそれほど必要ないだのと言い連ねる。着脱について差別するな、などと白々しく付け加えることも忘れない。そして結果は、マスクマンだらけの通勤・通学風景や、電車内の様子を見れば明らかである。日本人は、まだまだマスク生活を継続したいらしい。