だからぼくは広田で暮らすことにしたんです
――ただ、「計画」や「戦略」がないと、動かないことがあるのも事実です。特に複数の人間が集まっている組織という場所は、それがないと、複数の人間の意思をひとつの方向にまとめることが難しい。三井さんも、ひとりで動いているように見えて、一方ではSETという組織の一員だし、遠野まごころネットから収入を得ている組織の一員でもある。たとえば誰かにことばとして、組織と何かをやっていくということの意味を考えろ、と言われたりしたことはありますか。
三井 ああ……。遠野まごころネットでプレゼンをしていた時期に、「まぁ、そういうことであれば、とりあえずやってみなさい」って言ってもらったことはお話したと思うんですけど、あのときそういえば「但し、お互いの想いや行動の擦り合わせが大切です」とも言われていたこと、思い出しました。最後にプレゼンが通って「遠野を使い倒しなさい」と言ってもらったときも、「但し、そのためにも、まずはしっかりとここで学びなさい」という意味のことを言われた気がします。
――どちらも「但し」がついているところがポイントですね。さっき自分で言ったことを繰り返しますが、ボランティア組織は人やものの差配が重要な問題で、ひとりの若者のやりたいことをいちいち聞いていては成り立たない。さっき私は「でも、三井さんは説得できた。それは、向こうの余裕の問題だったのか、それとも三井さんの何かによってほぐれたのか」と訊いて、三井さんは「後者であると信じたいです」と答えた。でも、そこには「但し」がついていた、ということですね。その意味、どう思いますか。
三井 そうですね。やはりひとりで動くのと、組織で動くのでは全く違います。特に私の場合は自身で団体を立ち上げたことはありますが、既存団体に所属してしっかりコミットしての活動をしたことはありません。だからこそ、「但し」がついたのだと思います。「やりたいことはわかった。これまでやってきたことも分かった。君のやりたいことを認めた。だけど、組織として動けなくちゃ意味がない。遠野まごころネットの一員としてがんばれよ。お前は仲間だから」と、そんな意味が含まれていたのかもしれません。
――最後の質問です。広田に定住せず、住民票を移さずに、「来続ける」という手もあったわけですよね。「来続ける」と「住む」は違う。
三井 本音で言えば、やっぱり町民にならないとわからないことって、あるんですよ。これがいちばんだと思います。ボランティアにできるところって表面的なところなんですよ。深いところ、根源的なところにアプローチをかけようと思えば、やっぱり広田に住んで、長いこと暮らさないとわからない。その根源的なところにアプローチしたい。町民にならないと何もできないし、わからないんですよ、この町について。たとえば、広田は8部落に分かれているんですが、実はその中でもさらに28地区に分かれているんです。
――それは確かに、東京で手に入る地図を見てもわかりませんね。
三井 たとえば「天ケ森(てんがもり)」ってどこって言われたときに、まったくわからないんですよ。でも、その天ケ森に住んでいるムラカミさんと言われてわからないと、その人間関係がわからないと、この町を変えることも、限界集落から救うことも、何もできないんです。
ボランティアで来て、草刈りをしてということも大事なんですけれど、それだけじゃ駄目なんです。限界集落から救うって、そんな甘ったれたことじゃできないってぼくは思うんです。この町にはもっと外部からしっかりコミットして入って、どんどん人を入れながら、この町全体を変えていくような人間がいないと。だからぼくは広田に暮らすことにしたんです。長いこと来続けても、それはもう100年、200年来ても、広田町は変えられないと自分は思います。
――今のことばは、きついと思わなかった?
三井 いや、わりと強めでは言ったんですけど、さっき、あの「それくらいだったら大丈夫」って言われたのと合わせてみたら、「あ、こんくらいだったら大丈夫かな」と(笑)。