なぜ市場に「カラ売り屋」が必要なのか
日本ではカラ売りという語感だけで感情的に反感を持つ人が多いが、筆者に言わせれば、株価が上がることを期待してロング(買い)から入る投資家もいれば、彼らのように株価が下がると予想してショート(売り)から入る投資家もいるというだけのことである。むろん虚偽の情報を流して(風説の流布)株価を下げようとすれば違法で刑事罰の対象になるが、分析に基づいて根拠のあるレポートを書くことは、なんらやましいことではない。
むしろ彼らがいなければ、企業の不正が暴かれる可能性は格段に少なくなる。証券会社のアナリストは、自社と企業の関係を慮って、企業の問題点をストレートに指摘することはなかなか難しく、買いの推奨に傾きがちだからである。企業の情報を徹底分析して売りを推奨するカラ売り屋がいない日本の証券市場に筆者が物足りなさを感じるゆえんである。
カラ売りは買い持ちよりリスクが大きい。買いなら株価が将来投資額の何倍にもなる可能性があり、株価が下がっても投資額の100パーセントを失えばすむ。これに対して、カラ売りは最大でもカラ売りをした額しか儲からない反面、ロスは無限大である。アンダーソンもレポートを発表するとき怖くて、発表前に何度も考えると言っている。
リスクをとっても大企業の不正を追及したい
買いはターゲット企業に喜ばれるが、カラ売りは訴えられるリスクもある。特に訴訟費用をいくらでも払えて、カラ売り屋を破産させるために「スラップ訴訟」を仕掛けてくる大企業は怖い相手である(アンダーソンはこれまで3度訴えられたという)。
そこまでして売りから入るのは、儲けよりも自分の見立てが正しいことを証明したいと熱望し、企業の不正を追及したいという、ジャーナリストやハンターに似た心理があり、それによって社会や市場に貢献できるという信念があるからだ。
ヒンデンブルグ・リサーチを一躍有名にした案件は、2020年9月に行った水素燃料電池のEVトラック・メーカー、ニコラ・コーポレーション(本社アリゾナ州フェニックス)に対するカラ売りだ。同社の創業者で会長だったトレヴァー・ミルトンは、完成はおろか製造の目処もまったく立っていなかったEVトラックを完成したものとして、トラックが走っている動画まで発表した。同社はナスダックに上場し、株価は一時65ドル90セントをつけ、時価総額は300億ドル(約4兆200億円)を突破し、ミルトンは全米屈指の富豪となった。