「麻原は神聖法皇」天皇の代わりを占めようとするオウム真理教の思想
平成の時代になって、政治の世界に直接進出を試みたのは、オウム真理教と幸福の科学である。オウムは、1990年の衆議院議員選挙の際に真理党という政党を結成して臨み、教祖の麻原彰晃をはじめ25名の幹部が立候補した。しかし、全員落選し、供託金も没収されている。
オウムは、自分たちが落選したのは票のすり替えがあったからだと主張し、一連のオウム裁判では、それが教団の武装化に結びついたとされた。武装化は、それ以前から行われており、それだけが理由とは思えないが、その後、オウムは国家転覆を計画し、麻原は「真理国基本律」、あるいは「太陽寂静国基本律」と呼ばれる憲法を策定する。このオウム憲法は、神聖法皇によって制定されるもので、神聖法皇自身が唯一の主権者とされていた。麻原の名はあげられていないが、神聖法皇が麻原であることは明らかだった。
その第一条では、「神聖法皇は、(シヴァ大神の化身であり、)大宇宙の聖法の具現者であって、何人といえども、その権威を侵してはならない」とされる。大日本帝国憲法の天皇の規定をそのまま流用していることは明らかである。
麻原が天皇の代わりの地位を占めようとしたところでは、璽宇や天照皇大神宮教の発想に近い。ということは、平成の時代にはまったく意味を持たないものだということになる。麻原は熊本の出身で、熊本は保守色の強い地域である。そうした地域性がこの憲法にも反映されている可能性がある。
国政選挙に挑戦し続ける幸福実現党
幸福の科学の場合には、2009年に幸福実現党を結成し、同年の衆議院議員選挙には337名もの候補者を立てたものの、全員が落選し、供託金も没収されている。その後も、国政選挙に挑戦し続けているが、当選者は出していない。一時、すでに議席を持つ議員が入党していた時期があるが、国会に議席を持っていたのはそのときだけである。ただ、地方議会では、幸福実現党は当選者を出している。