頼りになるのは「名医」ではなく「良医」

多くの人は「名医」にかかりたいと願いますが、かかりつけ医として選ぶなら、狭い分野で専門性を発揮する「名医」よりも、なんでも相談しやすい「良医」のほうが頼りになります。

良医は、高齢期を最後まで伴走してくれるのです。ぼくが名誉院長を務める長野県の諏訪すわ中央病院は「総合医」の研修が充実していて、日本各地の医学部を卒業した若いドクターたちが研修に来ます。この総合医は良医になる可能性が大きいと思います。

20年ほど前、ぼくは『病院なんか嫌いだ』(集英社新書)の中で、「良医」にめぐりあうための10箇条を次のように紹介しました。

①話をよく聴いてくれる
②わかりやすい言葉でわかりやすく説明してくれる
③薬や検査よりも生活指導を重視する
④必要なときは専門医を紹介してくれる
⑤患者の家族のことまで考えてくれる
⑥患者が住む地域の医療や福祉をよく知っている
⑦医療の限界を知っている
⑧患者の痛みやつらさ、悲しみを理解し、共感してくれる
⑨他の医師の意見を聞きたいという患者の希望に快く応じてくれる
⑩ショックを与えずに真実を患者に伝えられる

この10箇条は、ぼくが医師として心がけてきたことでもあります。いま読み返してみると、どれも当たり前のことのようですが、当時の診察室では当たり前になっていなかったのです。いまもそうかもしれません。

「いつでもそばにいるから大丈夫」と言えるかどうか

この10箇条を、永六輔さんがラジオ番組などでたびたび取り上げてくれました。そのうちに、「いい患者の10箇条」なるものもつくられました。その10箇条目がすごいのです。

「生きているのに、ご臨終ですと言われたら、死んだふりをしてあげる」

これには笑ってしまいました。笑えるだけでなく、「医者だって人間だからミスするものだ」という、ちょっとした毒も感じられます。けれど、永さんの意図は、もっと深いところにあるのかもしれません。「ご臨終です」と言われて、しばらく死んだふりをしたあと、「ぼく、まだ生きてるよ」と薄目を開けて周囲を驚かせる。そんなことがあったら、湿っぽい臨終の場面は一転して大爆笑に変わります。

写真=iStock.com/kazuma seki
※写真はイメージです

患者本人も、医師も、看護師も、家族も大笑いしながら、力を抜いて「死」を迎え入れることができたら本物の大往生です。死ぬときは、どんな経過をたどるのか。痛みや苦しみはないのか。それを取り除く方法はあるのか。最期まで点滴をする必要はあるのか。そうした死への経過を説明してくれて、「いつでもそばにいるから大丈夫」と言ってくれる医師が「良医」であり、その役割に気づかせてくれる患者が「いい患者」なのでしょう。