Twitter炎上「ヤクルト事件」で得られた教訓

嫌な意見をまともに正面から受け止めていたら神経が参ってしまう。だから「柳に風」のスルースキルを身につける。この考えは現代社会を生きるうえで非常に大事になってきます。

しかし、だからといって世の中の声を完全に無視する“唯我独尊ゆいがどくそんスタイル”はあまり望ましくない。それだと裸の王様になっちゃいますから。実際、僕は自分の名前でエゴサーチするのが大好きです。

ときにはバッシングが自分を成長させてくれることもある。アンチの言うことは9割9分が的外れだとしても、芯を食っているような意見もごくまれにですが存在するんですね。それって自分にとっても成長の糧になるんです。

だから僕は自分に対して否定的な意見も、一応は目を通すことにしています。基本、他人からの批判なんて気にしない。でも、一応は耳を傾ける。そのバランス感覚が大事なんです。

では、どんな意見なら真摯に受け止めて、どんな意見を切り捨てるべきなのか? その判断基準が実は難しい。ここからは僕が実際に経験した事例をピックアップしながら解説していきたいと思います。

アンチとの攻防を振り返ったとき、自分の中でターニングポイントとなった一件があるんです。それを僕は「ヤクルト事件」と呼んでいます。

ある日、お風呂の中でヤクルトを飲もうとしたら、容器が浴槽の中に落ちてしまったんですね。その様子が可愛かったから、なんとなく写真を撮ってツイッターに上げたら、ものすごい勢いで炎上しましてね。「食品を粗末にするな!」って叩かれまくった。

弁解をすると、そのヤクルトは蓋が開いていなかったし、決して食品ロスになっているわけではないんです。だけど叩いてくる人からすると、写真を撮るためにわざわざヤクルトを落としているように見えたのでしょう。

実際はそんなことないんだけど、そう誤解された時点で僕にも落ち度があるってことじゃないですか。飲食関係者が見たら気を悪くするかもしれないですし。

これはたしかに僕も反省したほうがいいなと思い、以降、食べ物について発信するときはことさら注意を払うようになりました。間違いなく、炎上したことで勉強になった一件です。

嫌な意見にも一応耳を貸してやる度量としたたかさ

また、これもツイッターでの出来事なんですけど、公園の写真をアップしたことがあるんです。そのときは公園の中に大きな鉄球があったから、「あさま山荘事件みたい」とか書いたんですよね。

そうしたら「いやいや、それはダメだろ。死んだ人もいる事件なんだから」という反応が寄せられまして。言われてみたら、その通りだったと思う。遺族の方だっているわけですし。これも大いに反省しました。デリカシーがなさすぎましたね。

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現在は「10年前だったら問題にならなかったかもしれないな」という発言でも簡単に炎上する時代。しっかり感覚をアップデートして、発言は慎重になりすぎるくらい慎重になったほうがいいと学びました。

これは著名人じゃなくても同じです。誰もが社会とコミットしないといけないわけじゃないですか。だから、SNSなどでなにかを発信するときは、これまで以上に神経質になって日本語を使う必要がある。

この表現はアウトなのか、セーフなのか? そのジャッジは自分だけではできないこともあるので、なおさら文句を言ってくる人の意見にも一応耳を傾けるべきなんですよね。

バッシングも自分のプラス要素にしていくというか、ちゃっかり養分にしていく。そのしたたかさが求められるんです。アンチの声を無条件に切り捨てていると、その結果、自分が損することになりかねないですからね。

ムカつくからといってすべての反対意見を遮断していたら、人間的成長は望めません。嫌な意見にも一応耳を貸してやる度量が必要というわけです。

テレビやラジオに出ていると、発言の一部を切り取られて炎上したりして、「これって一種の言葉狩りじゃないか?」と思うこともありますけどね。だけど、時代は確実に変わっているんです。

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