「本当にもう指はダメだと思う」

壁に取りついた栗城さんは、凄まじい風に晒され続けた。同じころ、エベレストの隣の高峰、ローツェを目指していたポーランド・スペイン隊は、シェルパが強風の影響で滑落死したため下山している。

栗城さんは、10月18日の早朝、登頂を断念する。

「風が強すぎて、これ以上は危険だって判断しました……ごめんなさい……」

栗城さんが標高7500メートル地点のテントに戻ったのは、18日の午後5時半ごろだった。下山を決意して12時間、前夜の出発からは実に22時間15分が経過していた。栗城さんはすぐに無線でBCに救助を要請した。

夜10時、救助のシェルパを待つ栗城さんはBCのスタッフに無線で思いを語っている。

「水分補給もできていない。体がブルブル震えていて……。本当に7500メートル、酸素と水がないと厳しいかもしれないよ」

指を動かせず水が沸かせないことを、切々と訴えている。

「本当にもう指はダメだと思うの。もう心も体も厳しい状況なの」

BCの撮影スタッフが、言葉を選びながら静かに伝えた。

「栗城君一人の命を救うために本当に多くの人間が動いています。本当に多くの人間が必死に栗城君の無事を祈っています……。栗城君が今できることは、一晩、とにかく一晩、がんばって生き抜いて、そしてまた元気な顔を見せてくれることだけです。とにかく一晩生きてください。いいですね」

その言葉を女性BCマネージャーも悲痛な面持ちで聞いていた。栗城さんの声が届く。

「ああ、了解、ごめんなさいね。こっちもだいぶ精神的に……テントの中が寒すぎて……ハア、ハア、ごめんなさい」

両手の第2関節から先が凍傷で黒く変色

翌日、シェルパの助けを借りてC2に下りた栗城さんは、ヘリコプターでカトマンズの病院に搬送された。病院のベッドで両手を広げた写真を、栗城さんはネットに公開した。左右ほとんどの指の、第2関節から先が真っ黒に変色している。

写真=iStock.com/Helin Loik-Tomson
※写真はイメージです

私が栗城さんのブログを覗いたのは、彼が凍傷を負って半年以上が経過した2013年の夏だった。当時はもう彼の活動に注意を払っていなかったので、情報に接するのが遅くなってしまったのだ。

私がショックを受けたのは、彼の黒く変色した指に対してではなかった。

私がアクセスする数日前、栗城さんは長い文章をアップしていた。

「『(筆者注・スマートフォンをいじるために)指なし手袋でアタックした』(中略)など、訳のわからない言葉が並ぶ…。(中略)現場のことが分からない人や、足を引っ張りたい人は、そのように書きたいのでしょうが、(中略)知っている人は知っているので、人の挑戦を馬鹿にする人はどうでもよいのです」

私はこれを読んで初めて、栗城さんがネットで批判されるようになっていたことを知った。そして自分を攻撃する投稿者に彼が反論していることにショックを受けたのだ。

いつの間にか「アンチ」が現れ始めた

私が彼を取材した2008、9年ごろ、ネット民の栗城評は「称賛」一色だった。

「大好きです!」
「素晴らしい!」
「大注目のヒーロー!」
「こんな若者を待っていた!」

正直に言うが、栗城さんに様々な疑問を抱き始めていた私は、「誰か文句を言っているヤツはいないのか?」と検索したことがある。30分ほど探したが、誰もいなかった。

栗城さんはネットが大好きだった。「もうテレビは厳しいんでしょう?」と私にイタズラっぽい目を向けたこともある。その彼とネット民の関係の変化に、私はホラー映画を見たような鳥肌を伴う寒気を感じたのだ。