野口健さんもツイートでチグハグな行動を指摘

キャスティングはとても新鮮だったが、肝心の栗城さんの行動はチグハグだった。

まず、このときの遠征はBC入りが遅かった。前年は9月7日にBCに入った(栗城さんは直前の8月にスポンサー「ニトリ」の社長にあいさつに行った際、「すぐに行った方がいい」と叱られている)。2012年はそれよりも遅い、9月12日のBC入りだった。

10月2日。栗城さんは「8日の登頂を目指す」とBC(5300メートル)を出発した。

C1(6000メートル)、C2(6400メートル)まで登ったものの、「ジェット・ストリームが近づいているので去るのを待つ」と10月6日にBCに戻る。

10月9日、再びアタックに向かった栗城さんは、C1を飛び越えC2まで一気に登るが、そこで4泊。13日になってC3(7200メートル)へ上がったが、体調不良を理由に2泊する。この状況には親交のある登山家、野口健さんも「ステイ? 二泊はつらい」とツイートしている。

せっかく体が高度に順応してきたのに、停滞が続けば耐性が失われてしまう。動かなくても疲労がどんどん蓄積する。長引けば大量の脳細胞が死んでいく。登頂アタックの段階になったら、極力迅速に登るのが高所登山の鉄則である。

こうした高度退化への疑問のほか、ネット上には「ガスや食料がもつのか? 非常に不自然」という声も上がっている。

通常では考えられない場所でテントを張る

動きのない栗城さんに代わって、心配そうに山を見上げる女性BCマネージャーを主軸に、エベレスト劇場は展開していく。

栗城さんは10月15日、C3から下山の意向をBCに伝える。しかしそれを撤回して、16日、また登り始めた。予定のキャンプ地には届かず、遥か手前、標高7500メートル地点の岩陰にテントを張ることになる。エベレストの最終キャンプは8000メートルを超えた地点に設置するのが一般的だ。それより500メートルも低い。山頂までの標高差は1348メートルに及ぶ。

それなのに栗城さんは、17日、「モンスーンが来るまでのラストチャンスなので登頂を目指す」とBCに告げるのだ。

「頂上で会いましょう」

午後7時15分に入ったその無線連絡を、女性マネージャーは表情一つ変えずに聞く。

「標高7500メートルからの山頂アタック、了解しました。決めたからには頑張ってください。無理はしないように」

淡々とした口調で言うと、彼女は「オーバー(以上)」と無線を切った。