「普通の人は、無意識にウソをついている」
やがて、南雲さんはわざとテストで間違えて点数の低さを自慢するようになっていった。また親に怒られないように「良い子になりたい」と、自身を演じた。
発達障害というと「空気が読めない人」、いわゆるKYというイメージがある。しかし、中には南雲さんのように空気を読みすぎる人もいる。空気を読んで読んで、考えに考えて、その環境に合わせていくのだ。
取材中、南雲さんは「普通の人は、無意識にウソをついている」と何度か指摘した。
「定型発達(発達障害でない人)は、社会において私の存在を無にすることができて、帰属する社会や組織が何か間違っていても、その中にいる私は間違っていないと捉えられる。考えなくても合わせられて、ウソをウソと思わずつくことができます。ところが発達障害の人は考えることによって社会に合わせているので、我慢をしていることも薄々感じるし、ずれが大きいとうつや適応障害、人格障害として心の病気になると思います」
精神科医には「甘えている」と怒られた
南雲さんはじめ発達障害の人を取材しながら、自身を振り返ってみると、たしかにそうかもしれないと思うことが多々あった。例えば私は取材する時、取材対象者の言動に個人として共感できなくても、「そうですよね」「わかります」という言葉をよく使う。「話を引き出したい」という思いしか意識にないので、深く考えたことはなかったが、これは自動的に適応しているウソだ。日常的に発する、何かを「かわいい」「おいしい」「好き」という感想も、「元気」「大丈夫」「わかった」という返事も、相手に共感を示すためにつくウソが混じっているかもしれない。
多くの人は「考えずに周囲に合わせられる」のに対し、南雲さんは「周囲の状況を分析して合わせて」いた。ウソがつけないからだ。発達障害でKYとされる人も、つまりはウソがつけずに発信をしているのだから、根は同じといえる。
南雲さんは中学生になると、はっきりと周りとの違いを悟った。見た目は普通で、学校に登校できていても、ストレスから十二指腸潰瘍を患い、言葉もうまく出なかったという。その頃、こっそり精神科を受診したが、「甘えている」と医師から怒られた。
「最後の砦だった医師からそう対応されて、社会を信じられなくなりました。人は追い詰められると、この場所は現実じゃないと、乖離的になってくるんです。当時の僕がそうで、周りの景色がビデオのように感じました。現実感がない。現実に自分が存在しているかがわからない。左手を机の上に置き、右手でナイフを持って指と指の間を順に突いていく行為をしました。自傷行為ではありません。自分が現実を、この世界を信頼しているかという覚悟を確かめるためです。指の間をパチッと切って“痛い”と感じるなら、まだ現実とつながっているんだ、と。苦しい時期でしたね」