「ビートマニア」を企画し、20代半ばで年収2000万円超に

高校に入ると進学校だったこともあり、人からの関与や同調圧力が弱まって徐々に「好きなことしかやらなくていい」と吹っ切れたという。

「入学時に10位以内の成績は、卒業時には最下位に近いほうでしたが、楽しかったですね。小学生の頃からオーディオやパソコンが好きで親しんでいましたが、高校3年生の頃、米アップルのCMの音楽を作り、ギャラを10万円もらいました。この後、育ての父が破産し、一家は離散して両親とは連絡がとれなくなりましたが、悲壮感はなく、一人で自分らしく生きていこうとエンジョイしていました。しばらくは父の知人の港湾バイトと、グラフィックデザインなどの仕事をして、だんだん貯金できるようになり、やがて大手ゲームメーカーに就職しました」

南雲さんは音楽ゲーム「beatmania(ビートマニア)」を企画制作し、流行を生み出す。20代半ばで2000万円を超える年収を手にした。会社員生活は順風満帆だったが、勤務先でリストラをされる40代社員の様子を見て不安になり、転職を決意。今度はゲーム機本体を作っている世界企業に入社した。しかし、ここで「みんなカタカナ語ばかりで何を言っているのかわからなかった」と言う。

「周りは優秀な大学卒の人ばかりなのに、僕は高卒だから、言葉がわからないんだと、大学に行くことにしたんです」

自分で考えたもので、お金が入る仕組みを作ればいい

その行動力には驚かされる。南雲さんは大手企業を辞め、大学生になり、同時に起業(株式会社ユードー)もした。学費はそれまで生み出した作品の印税収入でまかなえた。しかし起業後、再び壁にぶち当たる。

「会社員だった頃は自分が“いい”と思うものを作ってヒットする循環でした。殿様状態だったわけです。それが起業したら、どこかの会社の言うことを聞かなきゃいけない。資金を調達して事業をしようとしてもうまくいかなくなりました」

借金は1億5000万円にまで膨らんだ。毎月100万円の返済がある。けれども返せない。電車を見ると、“飛び込めばラクなのに”という思いが湧いてきた。

「脳内ではキンコンカンコンが連鎖する(繰り返す)んです。死ね死ね死ねという思考もループします。当時発達障害という言葉はありませんでしたが、その追い込まれた時に、何となく自分の特性がわかってきたんですね。それで“仕事をいただかなきゃいい”と思ったんです。大きな会社からお金をいただき、その会社のために仕事を提出するのではなく、自分で考えたものでお金が入る仕組みを作ればいいって。携帯のアプリが出始めた頃だったので、あれを作ろうと。そうすれば1カ月後にお金が入るから」

ゼロから生み出すことができるのが、発達障害の人の特性なのかもしれない。南雲さんはアプリを作り続け、業績は回復し、1億5000万円の借金を無事返済した。

児童にわたされた賞状には「ベストマイクロビット賞」と書いてある。
写真提供=株式会社ユードー
児童にわたされた賞状には「ベストマイクロビット賞」と書いてある。