苦し紛れのプロモーション戦略

兎にも角にも打開策を見つけなければいけない。

ラジオは、どこの局でも扱ってもらえなかった。当時のラジオ局の番組編成では音楽はすべてジャンル分けされていたのだが、YMOの音楽はどれにも当てはまらず、またサウンドが奇抜すぎるということで断られてしまう。

写真=iStock.com/mixetto
ラジオは、どこの局でも扱ってもらえなかった(※写真はイメージです)

当時TBSで、飛ぶ鳥を落とす勢いの例の音楽番組プロデューサー・渡辺正文のところに持って行き、テレビに出してくれと頼んだが、「ショウタロウ、これは無理だよ。テレビでなにを撮ったらいいんだ?」と言う。

プロモーションが成り立たず、案の定まったく売れる見込みのないま時間が過ぎていく。

そんな状況で思いついたのが1978年12月に新宿紀伊国屋ホールで催した〈アルファ・フュージョン・フェスティバル〉というイベントだ。

当時、アメリカではフュージョン・ジャズという音楽ジャンルが流行り始めていた。アルファレコード(※2)には、ギタリストの渡辺香津美やカシオペアといったフュージョンミュージシャンが在籍していたし、アルファとディストリビューター契約していたアメリカの大手レーベル、A&Mレコードに協力を依頼すれば出演者には困らないだろう。

※2 川添象郎氏が村井邦彦氏とともに立ち上げたレコード会社。詳しくは以前の記事を参照。

それらのフュージョン・アーティストのあいだにジャンル不明のYMOを出演させて、なんとかプロモーションできないだろうかという苦し紛れの戦略を実行することにした。