「東京は冷たい」に違和感
――地方へは1回いくと数カ月単位なんですか。
いや、年単位です。福岡には入社2年目から5年間いました。そのあと、1回東京に戻って、その後は、福岡を含むたくさんの地方を担当しました。
そうしているうちに東京にいるときから違和感をもっていたことが明確になってきて、その1つが「なんでこんなに東京に人が来るのか」という疑問です。
――なんでこんなにたくさん、と。
そう。僕は神奈川県の出身であり東京は身近なのですが、地方から東京に来られた方から「東京は冷たい」とか、「俺には帰る故郷があるんだ」とかよく耳にするんです。でも、ふと「あなたがそうおっしゃる東京というのは、僕にとっての『故郷』なんだけどな……」と思っていましたね。
そして今度は、たとえば福岡にずっといるという方に話を聞くと、自分たちを卑下している方が少なからずいらっしゃいます。理由は「東京にいっていないからだ」とおっしゃる。そして「こっちにいても、なんにもできることはない」とまでおっしゃる方もいる。これを聞くと、ますます「おかしな?」と感じたんです。
僕はアクセンチュアに属していたので、確かに若いうちから魅力的な人に会う機会はありました。けれど、きっかけさえあれば、これって誰でもできるじゃん、と思った。福岡(や、それ以外の地方の人)でも気の持ちようでできるだろうと。
柴田さんもよくお話されていると思うのですが、コンサルタントの仕事は構造化を叩きこまれますよね。だから、僕がぼんやり思っている、福岡の人たち、もちろんすべてではありませんが、に少なからず存在するあきらめに似た感じと、東京に来た方の、なんて言ったらいいのかな……、不遜感とでも表現しようか……を考えるとなにかおかしくて。
――それらを構造化してみた?
そう、構造化してみたくなった。
それと、地方の仕事と国の仕事をしてみて感じたことは、国の仕事はあまりにシステムが複雑に出来上がりすぎていて、僕らが取り組むものはすでに「ワーク」の段階。もはや今から企画提案できることが少ないな、と。けれど、地方にはまだ揺らぎがあって提案してやっていける。これが面白かった。
こうして、ここまでは人のやりたいことを応援していたはずが、だんだんと「地方に住む人たちや街が変わるような仕掛けづくりをしてみたい」と、いつのまにか「自分のやりたいこと」ができていたんです。
――なるほど。もともと人の役に立ちたいと思っていたわけですからね。
地方に残っている人に少なからず存在している、このあきらめに似た感じをなんとかしたい。生まれたところで仕事ができる環境を日本中につくるような仕掛けをしたいと思いました。自分の育ったところでもここまでできるんだということを実感してほしかった。それをスタートした場所が福岡だったのは、仕事の都合で福岡が長かったからで、たまたまです。なにより、ごはんもおいしいし(笑)。
加えて、他の都市に比べて地方の中では恵まれた点が多いと僕が思う福岡ができなかったら、他のどこができるの?という思いもあったため、この土地はスタートにちょうどよかったんです。