「昨日鼻血を出した」と受診した親子

軽症のつながりで書くとこういうこともあった。開業して1カ月くらい経った頃、お母さんが血相を変えて診察室に飛び込んできた。開口一番こう言う。

「先生、大変です。うちの子、鼻血が止まりません!」

ぼくは反射的に(ついに来たか! 血液疾患、もしや白血病か!)と思った。

だが、よく見てみるとその子は鼻血を出しておらず、鼻の穴に詰め物もしていない。元気だし、顔色もいいし、どこが悪いのかよく分からない。で、ぼくは聞いてみた。

「お母さん、鼻血ってどういう具合なんですか?」

ぼくは子どもの体に皮下出血や紫斑がないか隈なく見ていた。お母さんの答えはこうだった。

松永正訓『患者が知らない開業医の本音』(新潮新書)

「昨日の夜、この子、鼻血を出したんです。それでハナをかんでもかんでも鼻血が出てくるんです。え、今ですか? 止まってますよ」

それを聞いて力が抜けてしまった。そうか、一般のお母さんたちは鼻血の止め方を知らないのか。

「鼻血が止まらない」という訴えは今でもよくあるが、ハナをかんだけど止まらなかったと言われたのはこのときだけだった。

「お母さん、鼻血はね、かむんじゃなくて、鼻をつまむんです。5分つまんでください。その後、ティッシュペーパーを4分の1に切って丸めて鼻の穴に詰めてください。その状態でさらに3分つまんでくださいね。絶対に止まりますから安心してくださいね」

どんな些細なことで受診してもよい

ぼくが幼年期だった昭和40年代はどこの家庭にも薬箱があったように思う。うちにもあった。いくつかの内服薬のほかに、ピンセット・綿球・オキシドール・ヨードチンキ・ガーゼ・包帯が入っていた。ぼくの父は高学歴の人間ではなかったけれど、鼻血はもちろん、簡単な外傷の処置もやっていた。

今の時代のお父さん、お母さんは「子どもを天才に育てる育児書」みたいなものは読んでいて、知識は豊富に持っているように見えるけど、こういうベーシックな生活力は弱いような気がする。

しかしそれを嘆いてもしかたない。かかりつけ医とは、なんでも相談できる医者のことであるのだから、どんな些細なことで受診しても構わない。

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