人々がお市の方に関心を持ち続ける理由
憶測をたくましくするなら、死後から一〇〇年ほどのなかで、秀吉と勝家の抗争は、お市の方をどちらが獲得するかが原因にあり、両者の抗争は織田家での主導権をめぐるものであったから、それは「天下」を争うのと同意であり、その争いの原因であったお市の方の美人さは、それゆえに「天下一」のものであった、と考えられていったのかもしれない。「祖父物語」はそのような認識を書き留めたものかもしれない。
とはいえお市の方がそのように、江戸時代半ばの時期に、「天下一の美人」と表現されるようになったことが、その存在を、後世に記憶させ続けた大きな理由であったことは間違いないであろう。
それは現代のドラマや小説にも引き継がれ、そのため現在においても、お市の方は戦国女性のなかで、一、二を争うほど著名な存在であり続けるものとなっている。そしてそれにともなって、お市の方への関心が引き続いて作り出され続けているといえるであろう。
戦国時代の「美人」とは何か、は興味深い
かくいう本書も、まさにその恩恵に浴したものになる。お市の方に関する当時の史料は、ほとんどみることができない。その限りでは、ほぼ空想の世界の存在ということになる。しかしにもかかわらず、断片的な史料、さらに後世成立の史料をもとに、お市の方について一書をなすことが可能だったのは、お市の方の著名さにもとづいており、それは彼女が江戸時代に「天下一の美人」と評されたことによっている。
おそらくそれがなければ、お市の方は、せいぜい信長の妹の一人、国衆・浅井長政や柴田勝家の妻、さらには茶々ら三人の娘の母、といった程度でしか認識されることはなかったであろう。それがお市の方として、一人の歴史的人物として認識され続けてきたのは、「天下一の美人」という表現によって、個性が確立されていたからである。
ただし研究者の立場からすると、お市の方が「天下一の美人」であったのかどうかは、どうでもよい問題にすぎない。それが当時の認識ではないと考えられるからだ。ただ当時においてもお市の方は、「美人」と認識されていた。
これについては、当時の認識において「美人」とは何についていっていたのか、が気にかかる。それは人に対する認識が、時代や社会の変化にともなってどう変化していくのか、を認識することにつながり、ひいてはそのことが現代社会の有り様を相対化するための足がかりになるからである。